桑沢教育のDNA

「概念を崩す」「基礎を問う」
最近のデザイン・トークで、現在を見据えて将来へという点で、おそらく最も重要な話だったような気がします。向井先生が1958年ウルム直後どのように桑沢デザイン研究所に関わられたのか、生でお聞きできました。
そして、キーワードは先生たち。ひとつの時代と学校は先生とその関係する人々で成り立っているのです。羽仁もと子と桑澤洋子、今和次郎、川喜田煉七郎、吉田謙吉、、、
そして東京造形大学設立に向かっていく過程にも。
実はその後の、ぼくが長岡造形大学設立に関わっていく始めの段階にも、つながります。そして今、ぼくと阿部先生が桑沢デザイン研究所に関わっている前提も、しっかりしたと思います。自分の今の位置が見えることは、とても大切。意味のある午後のひとときでした。(時間が全く足りませんでした)

ドイツの冬

今日は阿部くんの授業の番で、さっき電話ではなしていたのですが、話の途中でドイツの冬のことを思い出して、ブルッて身震いしてしまった。骨まで染み入る寒さ。暗いし、空気が独特な寒い匂いがする。心まで凍る。日が短い。行動はあまりできないし。行くだったら、やっぱり春、5月か6月だネ〜〜、って。なんだか、とても行きたくなってきた。

Paper-Wood

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Trials and Errors、Study、こういうことだとおもいます。
へんてこな木の製品やおもちゃが多い昨今、これは一見の価値があります。
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『句経』

北園克衛俳論集
風流陣発行所 1939年7月5日
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 最近、煎茶が盛んに成りつつある事は尠くも意義ある事といって良い。然しそれが抹茶のフォルマリズムに接近することを意味するならば問題にならない愚かなことである。煎茶の境地を作る事と煎茶のフォルムを作る事とは出発に於いて両極を意味している。境地は慣例を作る場合があるが、形式は決して作らない。慣例を形式化する者は常に亜流のペダンティシズムである。
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 慣例は可能性の上に存在するものである。形式は可能性を拒否する事に依って存在するものである。
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このページしか、読めなかったのですが、「形成」をなりわいとしているものにとって、とても深い意味をもっているような感じがします。

『二天の窟』

  一切の飾りをとり去って……。
とそのとき武蔵は思ったのである。もとの孤独な兵法者に立ちもどって、おのれが歩いてきた道を顧み、おのれが仕上げた剣を凝視する。…今度の書きものには、そういう心の動きを強いるものがあったのである。

松月堂古流展

10月31日 笹の雪4階 10時〜16時に展示しております。どなたでもご覧頂けます。なんと、実家の近所で!
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家元から、直にご指導を。。。
五色の菊とは、花の白、黄、赤、葉の緑そして花器の黒。そして細かいコンポジションの配慮。なんと、極めることはすばらしい!これが真の重陽の節句。

初のmore trees展

今晩オープニングでした。とてもたくさんの人!
実は、何を隠そう、ぼく、どうしても見たいものがありました。ecoffinです。実物は、今まで見たことがありませんでした。今日始めて。展示はモノがモノだけに、めったにありません(左奥に展示してます)。これを見に行く価値は、あります。
http://www.ecoffin.jp/catalog.html
デザインした白鳥さんとも、会場でお会いできて、うちがデザインした「more trees design」の名刺も!なかなか。。。
地下の写真展、なかなかいいですよ!