抱一の写し

久しぶりに、落札の最後まで萎えなかった。とても楽しく相当長い時間一対一が続いた。最後の相手は76,682回も落札している強者。こちらはオフクロと「この秋草(ミズヒキとヨメナ)の絵いいね〜」とか言いながら、ゆる〜〜〜く対戦。それにしてもこの人はおもしろい、残り2分22秒になると必ず上げてくる。「きっとまたくるよ〜〜」、、、このやり方で7万回も落としたのか!へ〜ヘビーコレクター。笑
ところで、このお軸はインターネットオークションの大半、いわゆる贋作の一つ。つまり落款がある当該作家の真筆の作品ではない。しかし大切なことはこの絵は、おじいちゃんやおやじの時代に通じる「写し」を堂々と証明している。その作品を模写することを通じてコツコツと技能を学ぶ。昔の美術家や職人は同じことをしていたというのだ。なのでコレは証としてどうしても手元に。普通は、(ほとんどの)一見して分かりきっている贋作や抱一の絵を弟子やその後の琳派が書いていないものは買わないでしょう!しかし、そこが実に興味深い。四条派の西山完瑛が(1889年に)描いたとわかっているからです。

播州明石藩に仕えた絵師が酒井抱一の写しをしたという事実がこの絵から知ることができるのです。抱一の写しでこれほど説明を絵に丁寧に書き込んで自らの落款まであるものは滅多にない。しかも明治時代の大阪を代表する須磨対水(完瑛の父芳園から学んでいる)の箱極書き(庚申1920年夏)と上巻絹に外題もということは、そこまで入念に。普通の写しではなくそれなりの理由が、もしかして本歌は吉兆に? ぜひ探し出して比べてみたい。
その他、絵には「上六寸七歩」「左七歩」「右一寸四歩」とアキの寸法が小さく書き込まれている。そして肝心の抱一の落款まで見事に写している。鶯村の印影が間伸びしているのは愛嬌。
とにかく、明治時代に大阪で江戸琳派の模写が堂々とされていたのだ。これは傑作だ。

第55回造本装幀コンクール

文部科学省、経済産業省、東京都の後援による印刷、製本、装幀、デザインの成果を総合的に評価する極めてニュートラルな視点で優劣を競う日本書籍出版協会と日本印刷産業連合会の催しです。
◇賞名  審査員奨励賞 第一席
技術や表現に新しい試みや工夫が施され、今後の展開が期待されるなど、審査員が特に推奨する作品。若い装幀家を育成することを目的とする賞。
◇受賞作品名 『タイポグラフィ・ハンドブック――第2版』
◇装幀者  宇野智美
◇出版社  (株)研究社
◇印刷会社  研究社印刷(株)
おめでとうございます。15年近くも受賞に対して積極的に応募してこなかったので、とても新鮮な気分です。というのも今回は研究社印刷の最後の証をどこかに記しておきたかったということが一番でした*。版元の吉田尚志社長(初版の担当編集者)のお話しでは第2版で受賞というのは聞いたことがないとのこと。何よりもうれしいのは、本が日本代表でドイツに渡るということでしょうか。
とにかく、宇野のおかげで、ぼくの著書の存在が消えることのない記録に残りました。感謝。もちろん吉野さんの辛抱強いご協力のおかげで実現した本ですし、などなど次世代への期待というか、ぼくの人生では退官の時よりしっかりと礎を次世代に繋いだ感じが:気よった作品展や研究発表ではない自意識満載の最終講義でなく、、、w このような時の流れの自然体がよくって、ほんと悔いが残りませんね。
https://www.jbpa.or.jp/zohon/zohon-winning.html

*おそらく創業当時は活版で英語の辞書を作るというまさしく心意気!当時の神楽坂を想像しただけで凄かったのだろうと、、、その情熱の締めくくりに、タイポグラフィの偏らない基軸となる本ができたというのは何かを指しているのかもしれません。

木村由理子さんのこと

先週の金曜日にお亡くなりになりました。ご冥福をお祈りいたします。
家族以外のお葬式には出ないと随分前に決めていましたが、今日滋賀まで足を運び、荼毘にまで見届けることができました。とても神聖な気持ちで、ここに書き込んでいます。
彼女と初めてお会いしたのは、ぼくが学生アルバイトで森先生の仕事場に出入りしている頃からですから、もう44年になります。その頃のお茶汲み(コピー係)のぼくを知ってて、今もなお普通に頻繁にお話ししている方は彼女しかいません。彼女を失って、自分の一部に穴が空いたような感じです。
去年の9月に茶室で濃茶を差し上げてが、昨日のようです。全く病気のことはわかりませんでした。家族も容体が急変するまでわからなかったそうで、それほど、他人には見せない美しさ(最近は自分は癌だ癌だとか、入院したとかSNS上で騒いで不特定多数の人たちに知らせる輩がいますが、正反対)。父元治は「屁のように空気中に消えたい(この言葉は美しくないが、自分自身をそう見ていたのでしょう)」とよく言っていたが、要はその人なりに自然に自然の中に消えていく。このことが最も尊いと感じました。

どれも決して有名な本ではないのですが、彼女から依頼が来た本を思い出すと、ぼくはそれらのステップで人として成長してきたのだなっとつくづく感じます。また、不出来な無器用なデザイナーなので、半分以上が失敗。しかしいつも新しい挑戦をさせていただくことができて、数冊はこれまで全く見たことのない本に仕上がり、その内容に相応しい満足がいく仕上がりを見せてくれたのも、彼女のおかげだと思います。

いまだに封書で正確にお手紙をくださるのも彼女しかいません。もう郵便を待ってもきません。

今から思うと、最近はメールが以前より頻繁にきて、ぼくのことをいやに褒めて下さっていた。

本当に、本当に大切な人を亡くしました。お互いお婆さんお爺さんになって、のんびりお茶が飲める日を夢見ていたのに。残念で残念で仕方がない。そういう人はもういない。

帰元慈由合編大姉霊位と授かったそうです。(2022.08.01)

風炉釜

古天明丸釜(戦国時代)
山口浄雄(名越昌晴の弟子)折紙
胴径6寸3分強・口径3寸1分半 小振
関東作の釜の大元、全然違う。「釜の六音」きれいに。

唐銅面取風炉 小振古銅色
大西浄中 14代清右衛門造 共箱
即中斎若書書付

ご苦労さま。

とうとう家屋が消滅した(明日ユンボが退場して解体終了)。一言、かわいそうな家だった。ご自分で建てた家でないと、こうもひどいことができるのか。手業で毎日少しづつ行う解体でよかった。この家を壊して初めて、オヤジが立てた自宅の謎がいくつも解明された。なぜ全てギリギリの寸法でできているのか。当時は大変だったのであろう。それにしても、「この家、傾いている」という最後の一押しの言葉で決断したことだったが、、、この後述談で明らかに。正しかったこと。予想通りだったこと。意外だったこと。
きく人きく人、近所の人の多くはなぜ壊すの? 残してリフォームしては、人に貸せばと、、、しかし完全に破壊して、更地にすることが正しい判断でした。リフォームしたらン千万では済まないし、その後どんどん追加での出費は必至だったろう。なんと通りに面した家屋の前部の通し柱がすべて切られて(おそらく車庫ガレージにするため)、土台に接しているすべての柱の下が腐っている(解体屋の話だと周りのうちのレベルの中で一番低いためここに水が集まる*=木に水が染み酸気を帯びたすえた異臭が長年したはず)。おまけに屋内で駐車していた部分だけ布基礎の上に乱暴に分厚くコンリをまいている。その上部に未だに用途不明の中二階=立って歩けない、頭をぶつける理解不能の汚い部屋(汚れから想像して駐車の物置?入れたら最後、全く奥のものは取り出せない、掃除を一度もしていない空間)。なんとその上部に梁を外して鋼材を横に渡している。それも二カ所。玄関の頭の1本は完全に柱に渡っていない。途中で止まっているのでおそらく落ちてくる。その他ところどころ重要な梁も継ぎはぎだらけ、本当にこの家は危なかった。後部も違法建築を足すために通し柱が切られている。信じられない有様が、解体とともに明らかとなった。これらの素人の考えのその場の処置で、家をもたせたつもりたったのだろうか? (2階にあったものすごい量の家財の荷重)どおりで家が傾くわけだ。木造の日本家屋をなんだと思っているのか。これでは住居でなく、まるで改造された倉庫だ。
最も迷惑なのは、地境のブロック塀の中央にあった転倒防止のブロックの支えの鉄筋を切ってその部分を取り除き、違法増築をしていること、作為的としか言いようがない。公道に向かっている部分も約40cm縁石ギリギリまで迫り出してサッシをつけている。巧妙な狡い増築(その部分の基礎がない)。

軽視さんの余韻は家が残っていたらとれなかったであろう。しぶとかった。引き渡されてから即、全ての扉と引き出しを開放して、毎日外界と同じ空間にしても、もとの匂いが消えない。そしてアースレッド16畳のを一階二階2つづつ焚いて、急遽ブルーシートを敷いてみたが、それでもダニに刺される。痒い。もちろん家の中は一度も靴は脱がず初めから土足であがってる。床に直に間違っても座わることはできない。毛羽立った古い畳の上にゴザを乗せて画鋲で止めている。この湿った隙間ところには確実にダニが住んでいる。正確には気がつくといまだにクレゾールの匂いがする。どこから滲み出てくるのか? 家に染み付いていたわけだ。壁がすべてとれて柱以外全て運び出して、屋根が消え雨が家の中に入るようになってようやく消えた。目下の近所問題のネズミは減った。以前はこの家に何度も入っていくの目撃していたが、なんと飼っていたのだ。玄関のサッシ横についていたへんな出っ張りを下から破壊したら、なんと米が飛び散った、、、餌付け場だった。

家に入ってすぐ眼に入る部屋の隅にある垂直の太い塩ビ管はなんだろうと疑問に感じていたら、2階の便所から直接おちて来る下水管。普通はリフォームで隠すのが常識と思う。上から下まで全部剥き出し。よくこのような家に一日中いられたものだ。とにかくきたない、掃除をしない。窓の桟という桟に埃が地層のように重なって積もっていて、生まれて初めてみた状態。屋外にいた方が肺は綺麗だと思う。

最終的には違法増築したところだけで、生活をしていたのであろう。ダイニングキチンといえるのかわからないけど、違法増築した台所、食事していたテーブルの真下に下水の枡があった。床下のその上にカーペット敷いてしまって、わからなようにしてある。そのすぐ横には、おそらくメッキをしていた旧便所で、薬品の収納庫。ここ臭うだろ。まして、食べているところのすぐ後ろが換気扇のないトイレで、すぐうしろ1m。トイレと風呂場に換気扇がない。小さな通気口だけで、棒の先のフックで開け閉めだけする。おそらく、うちにあんなに匂っていんだから、開けた後扇風機か何かでこちらに送っていたのだろう。この空間と台所が一緒。ちょっと見えたことがあったが、この場所はもので溢れていた。直線にしたら、数メートルのところで、このような生活をしていた夫婦がいた。それも45年間。そういえば、引越しの時のトラックの積み荷の量、粗大ゴミの量を思い出す。どこにあの量が存在していたのであろうか。戦後バラックと同じ。これで貴金属を扱う仕事?笑らわせるな。
ライフラインの複雑さ。水道管の驚いたこと、はじめは全くわからなかったが、全てが二重。元々の内配管は使用していない。後付けの外配管で屋内には壁をその必要なところを管を入れるためにぶち抜いて引いている。電気も恐ろしいタコ足配線で、かなり多くを剥き出しの外配線。壁の中の配線が生きているところはどこなのかさっぱりわからない。もはや自分達もわかっていないのであろう。これではいつ火を吹いても不思議ではない、とても危険。

家に立ち入って即不吉を感じて、まずしたことは、家全体を塩で清めをして、全先祖の身近な弟子丸大仙の書で軽視の怨念を押さえた。その延長上にあることは、取り外した棟上札を丁重に近所の氏神様(元三島神社)でお焚き上げをする予定。とにかく怖い。ここまで安全に取り壊すことができたのは奇跡だったのかもしれない。うちの厄は消えた感じがする。ほんと疲れた。

それにしても、生まれて初めて家の解体屋さんの仕事を目の当たりにした。SAKURAREBLESSの安藤さんと仙石さんは素晴らしい職人(江戸時代の火消し)だった。感動した。多謝!
https://kaitai-sakura.jp

茶カフキノ記 看雲亭ニ於(己酉1969)

執筆は即中斎、兼中斎のと同じように自筆で箱書きをしている。やはり書きものに花押はない(奉書紙は違う)。思ったより早く願いが叶って家元書付のがあった。しかし、予想と大きく異なった。これもおそらく皆中者の正客*に、お渡ししたのでしょう。春芳堂表具、仕舞い込んでなく、かなり掛けていた痕跡。宗匠に表装していただいた時は、ご本人は相当盛り上がったのであろうに、どうして手放してしまったのだろうか(たとえその後の人が茶をしなくても、家宝だと思うのですが)。
– 㐂三子* 全
– 蓮子
– 文子 全
– まさゑ 全
– 悦子 一
やはり全てが女性。それになんとすごい三人も当てている。この超緊張の茶会で、さぞかし即中斎は素晴らしい笑みを見せたことでしょう(亭主は不明、この場合どなたが茶を点てたのだろうか)。家元の茶カブキは、歴史上に残るのように、今でも内密に全てが謂れがある男性だけの世界でやるのかと想像していた(美化していた)。
また、これは4月21日(利休忌ではない命日)に行われている。この年(回忌年ではないのだが)は茶カブキがとても多い(軸になっているものを他に2幅も見かけている=両方とも兼中斎によるもの/悦子氏は4月12日の蘆庵にもお詰めで)。

流派の結束を説明するときに掲げようと思っている。よく見かける「七事式」の掛物(有名なのは不白)があるが、それは説明に適さない。茶カブキの発祥や復興や本来の深い意味を現在に置き換えて今一度考え直し伝えること。このコロナ禍で以前のような茶カブキは実施が難しくなっていること(内内でやるしかない)。とても重要なポイントだと思う。
それにしてもこのお軸は、昭和の旺盛だった茶道、いや戦後の茶道の存続。今日の茶道を即淡砲で切り開いてモダンの流派を形成した証。
この茶室は謎。「看雲亭」というのはかつて大徳寺に存在していた有名な奇観。どういうことなのだろう。どこなのであろうか。南禅寺(鹿苑寺?)の茶室? 東京の稽古場? 何箇所か同じ名の茶室が存在するようだ。王維の終南別業「行到水窮處行(ゆいてはいたるみずのきわまるところ)、坐看雲起時(ざしてはみるくものおこるとき)」で惺斎の好みに由来するのであろう。