フルティガーさんがヨーロピアン・デザイン賞の殿堂入り

09.6.18 11:14 PM
小泉様
ご無沙汰してます。
フルティガーさんがヨーロピアン・デザイン賞の殿堂入り、というニュースがいま入ってきました!
その報せを受けた フルティガーさんのインタビュー動画 です。
http://www.swisslegacy.com/index.php/2009/06/17/adrian-frutiger-european-design-hall-of-fame-2009-video/
撮影場所は彼が今住んでいる老人ホームです。
小林 章
==
小林さんから、うれしいお知らせが。。。

母子手帳

なぜか、資料を探していると、こういうものが出てくる。
なぜ、ぼくはここにいるのだろうか? 生きているのだから、がんばろう。今日はなんだか疲れた。
20090616-母子手帳.jpg
近所には、赤ちゃんがたくさんいます。きのうは散歩していた。。。おかあさんたち、がんばっていますね。

「なぜか”褒め合い族”」

昨日の日経夕刊。何か最近、多いみたいです。どういうことなのでしょうか?
反骨心喪失というより、
著名人同士が褒め合うこと、の問題を感じます。
こころから「人を褒める」ということは、いいことだと思いますが。。。

直ぐなる目線

世の中で鍛え抜かれた教え子からの、ひさしぶりのメールは何よりうれしい。
成長できると、もっとうれしい。
ぼくも、そういう経験ができたら。
これから、これから。。。また、可能性がでてくるはず。ひとりひとり、教え子には教え子の未来がある!!!

『歩々清風』

ここ何ヶ月、時間があると、この本、を開いている。なんとなく、ほっとする。
これぞ、また書物。
==
↓しびれる
自分で点前をしてみて感じることは、お茶の点前の中に、自分で自分を律するという修練の含まれているということであります。
自分の手足の動き、手足の位置など、一見たいしたことではないはずであります。しかし、これを自分で意識する間に、自分に対する見方が変わってくるのであります。これは禅宗の修行のなかでもまた大切なことであります。坐禅は、生理的に精神的体調を調えるうえに非常に有効な手段でありますが、お茶の点前は、自分の身体の隅々までを意識して制御している間に、ひょっとして、自己解脱につながる契機ともなるのであります。…(略)…これはお弟子だけではなしに、師匠自身にも大切なことであります。(本文「お茶を教えるということ」より)

『黄金の国を求めて』

今日、大家さんから、かわいらしくって、すばらしい本が届きました。
ここ数年、このように素朴で、美しい本を見たことがない。
奥付に縦組で、二〇〇九年四月十八日刊行 と記されています。
これぞ、書物。

北のHelvetica

トークショーは無事終わりました。
講演は、、、やる度、ブラシュアップが必要と感じます。
もっともっと、うまくなりたい。ぼくのトークは、まだまだ。
思ったより多くのみなさんがいらしてくださって、静かに聞いてくださっていたので、ぼくの中で、何かが、弾けています。。。がんばらなくっちゃ、
今後、おそらく、定期的にsmtで、Typography short short講演とshowcase展示を積み重ねていくと思います。やる本人に力水をつけている感じ?
帰りの「はやて88」車窓から19:12 目に飛び込んできた福島の山山に棚引く雲がとても美しかった。
==
そういえば、会場では
暮らしの手帖『活版限定版 暮らしのヒント集』の実物を手にとってみることができるんですが、みなさん見入っていましたね。
今回の活版は、子どもはひとりもいなくて、いろいろな立場のみなさんが活版に魅せられていました。あたらしいシリーズのワークショップもずいぶん熟れてきました。