先ほど、【送付実施機関:私学事業団(4号)】老齢・退職給付 年金請求書というのを投函した。
ぼくは四つに分かれていて、国年・私学・国年・国年を全く抜けがなく完全に払っている。今回のは私学共済、明日が誕生日なので今日の消印から受付。うれしい、年金がもらえる、、、地方で稼いでいた頃に相当する年金なので、この間のはJAバンクの口座にした。他は郵貯と決めている。
ご苦労さま。
その二、ほんとこの人、職人?どうやら詐欺に憧れているよう。
あけてびっくり、ゴミタメのような住まい。ファサード(外面)表だけは見た目いい、この通りに面した一面にだけサイリングを貼り付けただけだが、まずこれに騙される。このことに象徴されてる(よく見ると変色し、穴が空いた巻かれた雨よけ庇テントは一切取り替えていない)。
ファサードの玄関には常に貼紙と赤十字のシールでいっぱいの稀な自宅入り口、自分たちは「詐欺」ですと、証明している不思議な夫婦であった。なぜかこれら貼紙「詐欺にご注意」の区報のチラシを玄関サッシのガラスにセロテープで貼って、通行人に見せていた(意味不明)。おそらく憧れていたのだろう。
実際、建物買取の交渉で価格をきちんと論証した価格提示を一度もしてこないで吹っかけたいい加減な金額だけ提示してくる。とても恐ろしい相手だった。ぼくはうちの前を掃き掃除をするのだが無駄、すぐに細かい枯れ葉が、、、隣の氏の家のまえはいつも綺麗、、、何故だったのだろうか、笑。現代の名工、職人と名乗るからには、少なくてもそのような人は死ぬまで修行される方と個人的には思い込んでいました。ところが、この方のおそらく仕事部屋だった空間の汚いこと、この部屋は仕事どころか数十年物置それも立ち入ったことのない空間であったのだろう。「引越しは大変な大荷物でしたね」「はい、仕事のものがあって、、、」こちらは何にも知らないと思って、このようなやりとりが最後の会話。真っ赤な嘘でしょう〜金工の道具、ヤスリひとつ、一年も使っていなければ、使い物にならないことを知っていますよ。最後の一言まで本当にいい加減なこと言う男でした。
とにかく口を開けば嘘をつく。
最後の最後まで嘘をつく、たまに可愛いいい嘘ならいいけど、人を馬鹿にしたいや〜なものが残る嘘。「リフォームはしましたよ」この家屋にとっては3代目の住人だが、明らかに自分たちのために一度も直していない伏魔殿。
身なりもまた嘘のかたまり。
こちらに対して、三重苦のひとつ金欠で困っていると言いつつ、朝、近所にゴミを出すときに金のブレスレット?と擬似スイス時計使うような生活している。また、契約の時などは、いやにキラキラしている(いかにも貴金属業界風の)襟章をつけている。取引では職業柄この単位の現金には慣れていると言ったり、身なりはぼくとは比べものにならないほど、よっぽどブランド金持ちぽい(ぼくはブランドぎらいですが)。
外観からは想像できない。こんなムラのある生活をする者が伝統工芸士?
二週間に一度しか掃除をしない、、、朝はだらしない。布団も畳まない(下町なので、我家とは長屋みたいで見たくなくても見えてしまう)。でもおもちゃのようなツーシーターのマイカーだけはこまめに掃除をする。私見ではあり得ない非常識な日常生活。
一番おもしろいのは、こちらがリノベで銀のペンキを塗ったら、、真似して自分で塗れるところだけ同じ銀のペンキを塗った。濡れないところはそのまま、このような職人、いるのか? この家が建った当時の窓外手すりや庇屋根のペンキが膜状になってはがれて飛んでくる。現に氏の作品を持っているが、急須と仏壇のローソク立ては実に安っぽい。しかし自称、江戸銀器「伝統工芸士」ということだ。
ぼくにはいまだに信じることができない。40年以上も東京下町のこの一軒家に住んでて、引越しに誰一人として、手伝いにこない不思議。人望のない男。もし人の模範となる職人だったら、弟子の一人でもいて、手伝いに来るでしょう。近所に外出時、可愛らしいコサージュぶる下げて、流行りのキャップにサングラス。ニコニコと近所に愛想を振りまいて(お別れ会などしてもらって)、健康そのもの。しかし、交渉では健康上の問題ありという、「病院を変えるのでン千万を要求」。この方は至って健康そのもの(良いこと)。スタスタ歩く。階段もヒョイヒョイ。普通ならこの年齢からして、先人の言うことは信じるのだが、、、人間は歳で判断してはなけい(じつに幼稚な老人もいる)。
- その他:車には「警視庁」とある。検索したがこのような証書はひとつも見当たらない。フロントガラス下に優良ドライバー? 指導員?と装うが、工事業社に対して路上で平気で危険な交通妨害。
- 入り口のサッシには「ALSOK」の嘘のシールが。これは誰でもひと目でわかる。
- 家の中の補修は全てガムテープと養生テープで処理、応急処置だらけの家。この仕業はどうみても職人じゃない。単なるドケチのやっつけ。それにしても工芸を志した輩の住まいであろうか、変なおまけシールが部屋中の建具に貼ってある。自身がガキ(この夫婦には子供はいない)。
- 命を粗末にする。ショッキングだった2018年10月3日朝。土や植木鉢の廃棄のために一斉に全ての植木の幹を切断、見るも無残残酷な処分した。そのことによりベランダの加重をなくした日。それ以前は、重みでズレてくるので、台座の木を時々叩いて戻していた。酷い応急処置。
実は実家に完全に居を移す前は、この軽視(仮称)氏のことなど100%気にも止めていなかった。全く眼中になかった人間。しかしこの騒ぎで(コロナで自宅に居るため、ほぼ毎日欠かさず)人間観察をしてみたら彼らの普段の所行がとても不自然。職人どころじゃない、人間として、ぼくからは立派な詐欺夫婦といえる。
三音(さんおん)諸説
釜の蓋を切る音*
茶筅とおし(表裏)の口にあてる音
茶碗に茶杓をあてる音
=湯釜の蓋をずらして開ける音*
茶筅とおじ(武者小路)の音
=茶碗に茶を入れたあと茶碗の縁で茶杓を軽くはたく音
釜の蓋を閉める音
=茶筅の穂を茶碗の湯にとおす音
=茶杓で茶碗の縁を打つ音
釜の湯の沸きたつ音
湯水を柄杓で汲み入れる音
その残りを釜に返す音
釜の蓋を蓋置の上に置く音
茶碗を畳の上に置く音
水差の蓋を置く音
中潜を閉じる音
蹲踞の手水の音
躙口、襖を閉める音
草履をしまう音
茶室内の衣摺れの音
箸の落とす音
茶席では、無闇に音を立てないのが心得とされる。点前の重要な節目で、サインとして必ず音を立て、意味をもたせなければならないということになると、上記で該当しないものが出てくる。先日*これで話題になった。「表では結構音をさせるよね、裏ではたてない」というのです。そうなのか、ぼくは個人的に、わざわざ「ガラガラ」させ鳴らすのは好みではない。ほんの少し当たるか当たらないかの釜の金属音を聴くすれすれの音がよいと思う。
平丸釜
初代大西定林(江戸) 13代浄長極
胴径7寸4分半・口径3寸5分、小振り、格注草地紋が好み。釜肌に傷アリ、、、
元伯宗旦の漢詩横物
二重箱堀内不仙斎箱書、古筆了延・了意極札。この時代の掛物は圧倒的に消息で、書の多くは有名なあの四角い黒印に惹かれついつい、それら世の中に出回っている元伯は贋作ですが、それにしても惚れ惚れする文字と空間だ。最も尊敬する茶人の魂が染み込んだ書。心が清め洗われる。
「一人傳虚萬人傳實 漫々(いちにんきょをつたうればばんにんじつをつたう まんまんたり)」と書いてある。一人が誤ったことを伝えると、世間の人々がそれを本当だと思い次から次へ果てしなく満ちあふれて広めてしまうこと。そういった惧れを指摘する語。全く今のネット中心の社会の人々に当てはまる喝。特に情報の送り手は心すべき重要なこと。つまり万人に向けてなのだが、特にうちの分野で例えれば「一人の有名なクリエーターが本筋と異なったことあるいはそれっぽい作品を発表すると、ネット上でその関係する信者がその情報源のことをやたらと広め、収拾がつかなくどころかその後にもし真実を伝えてもかき消されてしまう」といったことであろうか。
《五灯会元.卷11.临济玄禅师法嗣》:「僧问:『多子塔前,共谈何事?』师曰:『一人传虚,万人传实』
【出處】:漢·王符《潛夫論·賢難》:“一人傳虛,萬人傳實。”
【例子】:問:“如何是東禪家風?”師曰:“一人傳虛,萬人傳實。”(宋·釋道原《景德傳燈錄》卷21)
五灯会元【ごとうえげん】20巻、目録2巻
大慧下4世、大川普済の下にいた慧明首座の編。淳祐12年(1252)に成り、翌年に刊行。中国南宋の禅僧普済編とも慧明編とも伝える禅宗通史。「五灯」は宋代成立の禅宗史書である景徳伝灯録、天聖広灯録、建中靖国続灯録、宗門聯灯会要、嘉泰普灯録の五つを改編して一書とした総称で(灯は不滅の法灯を意味し)、それらを整理集成したので「会元」という。
尾形乾山の系統
素晴らしいサイトを見つけた。
http://www.ab.cyberhome.ne.jp/~tosnaka/201202/kenzan_densho_keifu.html
江戸では口述伝書:
次郎兵衛
宮崎富之助
抱一上人
西村藐庵(鈴木半茶)
朝岡與禎
三浦乾也
松沢
大槻如電=日暮里
京都では陶器密法書、後に江戸へ:
猪八
清吾
(この間不明)
芳村観阿
梅屋菊塢(隅田川焼)
佐原家=向島
ご苦労さま。
その一、一件向こう隣からのうちを見た第一印象から、ことは始まった。
ちょうど2年前の9月、同じように朝鮮の方が退去された。その建屋の二階から初めてうちの裏(ぼくが生まれた頃はうちの庭だった)を違う角度から見ることができた。驚愕した。つまり隣接した違法増築のバラックの向こう隙間に昔の庭の一部が残っていたのだ。でも最悪。汚ったえ〜な、ネズミ道。危ね〜な、鉄の腐敗。父はこの様子を一度も見ることが叶わなかったわけだ(表通りからは一切わからない=ファサードについてはいずれ)。生きていたらおそらく同じ行動に至ったに違いない。借地人の質は国籍ではない。父の代からの45年そこの住人だった軽視(仮称)夫妻が今日法律上立ち退かれた。終わった。長い嫌な戦いだった。とにかくクサイ隣人だった。この全くのあかの他人が長い間、借地ではなく、うちの敷地内(同住所)に、住んでいたかたちになっていた。ようやく、小泉家本来の姿に戻った。(今日はおばあちゃんの命日でもある。ありがとうございます)
ここの住人だった旦那はたちが悪い(顧問弁護士は曲者と表現したが)。とにかく人の話を聞かない。待てど暮らせど返答をしない。会って話してもいつもいい加減に返事をされ会話にならない。一番驚いたのは、話し相手が用意した書類を手にも取らないで、作った本人の前で机の上にあるその書類の一番上の一枚だけの角を指二本でつまみ上げて蔑ろにチラ見する。一生懸命わかりやすくこちらの状況を何ヶ月もかけて作ったものをこのような見方をされた。このような無礼、生まれて初めて受けた。三重苦の一つとか面と向かって言われ、とにかくいろいろあったが、今日は久しぶりに晴れ晴れとした気分。近年ない心の底からの青空。毎日漂ってくる異臭(腐敗した臭いと人工香料の混ざった匂いそれと隠し持った化学薬品も加え)、たまらなかった。参考=京都新聞12/2付「人工香料「私には毒ガスのよう」 化学物質過敏症の苦しみ知って、症状ある人たちの思い」https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/394843に同感。
ようやく、炉でたく香を聞くことができる。本当、このような臭い腐った家がうちの敷地内に建っていて、うちはぼくで終焉を迎えるのだが、この酷い状態が結末ではご先祖様たちに申し訳が立たない。そして残りの人生、この臭いのから解放される。ただただうれしい。しかし、今まで半世紀近くも、このような輩がすぐ隣に住んでいたとは、灯台下暗し。隣人の沈黙は恐ろしいというしかない。
追記:鍵を引き渡されたので、顧問弁護士の先生と早速家屋の中をざっと一望できた。改めて
汚臭と不衛生
よくこのようなところに、、、住んでいたのではない、立てこもっていた。ひとことで言うと、この夫婦は一戸建てに住む資格がないと感じた。単に毎日そこに居ただけでその借地権は確かに強いのだがただそれだけで、一方全く価値のないその家屋はかわいそう(詳細はその二以降に)。
心に余裕がある人の特徴
・優先順位が明確
・自己肯定感が高い
・先を見通して準備する
・穏やかで落ち着いた言動
・冷静に判断する力がある
・誰に対しても謙虚な姿勢
・周囲と自分を比較しない
・視野が広く周囲への気配りができる
もしもの場合に備えて準備をしている人は心に余裕がある。
すばらしい。この通りだと思う。
今朝、SNSを見たら偶然載っていた。最近は、ほんとに各SNSを見ないよう、載せないようにしている。
FBはタイムラインにその時出たアタマの五個ぐらいを一瞬見る程度。TWはほとんど見ない。
FBは何年か前に載せた写真が懐かしい場合だけシェアする。でTWはほとんどツイートしない、利休百首でその時全く同意したのだけリツイートするぐらい。とにかく真剣にやっていない。本当にバカらしい。こんなものに時間を費やすなんて貴重な人生自体を無駄にしている。はっきり言って、他人が何をしてようと関係ない。そんなもの見ているから、ひがんだり、しっとする。人間は弱いものということを知るべき。とにかく自分をより以上に律すること。
尽十方無㝵光
隣の新館予定建屋(実は大ボロ屋)に初めて踏み入れた記念日に。A~NAMDA~
じっぽうをつくして ひかりえることなし 十字名号から前二字後二字計四字省略、つまり六字名号(ろくじみょうごう)「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」となる。本来は「帰命尽十方無礙光如来(きみょうじんじっぽうむげこうにょらい)」の十字。
帰命は身を投げ出して仏の教えに従うこと。語尾の光如来は煩悩の闇を照らす永遠の光明である阿弥陀如来の徳をあらわしたもの。したがって南無阿弥陀仏=「阿弥陀仏に南無したてまつります」ということ。正法眼蔵(1231-53)「この十方、無尽なるがゆゑに、尽十方なり」ありとあらゆる方を尽くした世界に何物にもさまたげられない光。老師の書は「碍」いしへん 㝵=「日」「ー」「寸」、「礙(さまたげる)」の異体字。石が省かれている「むげこう」は、なぜなのだろう。
父元治はじめ、ご先祖全てが居る長野県佐久市の貞祥寺に関わり深い沙門泰仙老師。弟子丸泰雄は澤木興道に18歳で佐賀で出会い、禅を実践するよう勧められ、51歳1965年沢木興道師より京都安泰寺で出家得度を受け、最後の弟子「黙堂泰仙」を授与され、正式に弟子丸泰仙となる。この頃、桜沢如一というヨーロッパで自然食を普及しながら、東洋哲学を説いていた人と知り合ったらしい。フランス風典座につながる。1966年夏、来日した80人程のヨーロッパの人々に貞祥寺で坐禅の指導した(その頃、清久寺住職に?)。そしてちょうど一年後シベリア鉄道でフランスに渡り、思想家などと交流を持ち、多くの人々が彼の教えを受けた。現地では、おそらく布教や僧侶としての仕事、執筆、多忙だった。故におそらく墨跡は少なく、唐紙に筆を落とすことも少なかったと想像する。1969年モンパルナスの駅前に新道場を開設し、ここを本部とする「ヨーロッパ禅仏教協会」を設立。1970年巴里山佛国禅寺を創立。その後、ヨーロッパ各国に開教道場63カ所開設、Zürichの道場もその一つ。今でも貞祥寺の禅修に多くの孫弟子たちが各国から訪れる。墓所は同寺にあり、母もぼくも先祖と一緒にここの墓地に眠る予定。
仏掛はヨーロッパには存在するMonikaさん所有の「福寿無量」だけ?ひょっとすると禅道尼苑に部屋あった「天上天下当処永平」も? 日本にあるのは極端に若書あるいは歿直前か(この書付は筆の運びから後者)。本当に老師の掛軸は見つからない。おそらく数がとても少ない上、国内では不明なことが多い。
誠信書房『正法眼藏現成公案解釈』『正法眼藏摩訶般若波羅蜜解釈』を執筆。時々読んでいる座右の書。
國華
引用:『國華』は1889年(明治22年)10月に日本の優れた美術品を広く知らしめるため、岡倉天心、高橋健三、フェノロサらにより創刊された美術雑誌である。現存する美術誌としては我が国最古、世界でも2番目に古い歴史を持ち、現在は朝日新聞社 https://publications.asahi.com/original/zasshi/kokka/seiwakai/ が発行している。
日本が所蔵する優れた美術品(日本美術と東洋美術)を木版および写真版によって忠実に再現した複製版画を一、二点掲載し、日本のみならず欧米諸国に広く紹介した。学術雑誌として世界に高く評価され東洋美術研究には必須の資料であり、海外の大学、博物館、美術館、美術史研究者らが活用している。
國華創刊当時のヨーロッパは熱狂的な日本ブームで浮世絵等の木版画の需要が高まり一時衰勢していた版元界は勢いを取り戻し200数軒の版元が昼夜を問わず仕事に打ち込み木版画の隆盛期であった。江戸時代から培われてきた木版画の技術はますます進歩し制約の多かった江戸と違って明治政府の援助も受け木版画史上最高とも言える技術と高価な良質の紙、絵具をふんだんに使って作られた。神業的な技術を待った職人達の手により絵肌の質感、古色や保存状態までもが緻密に再現され、版木が60、摺り数が100を越すとも言われる気の遠くなるような作業であった。その美しい精巧な日本固有の色摺木版画は発行部数も少ない(約200~500部)ため入手困難で、貴重な資料であると同時に貴重な美術品であり、これら贅沢な図版として掲載された世界に類を見ない極致、極限の木版画である。またその他、玻璃版(コロタイプ)の技術も一部併用された。
https://www.akanegarou.com/profile/kokka.html
興味を持ったのは、岡倉天心が存命中明治39年に発行された:
木版彫師=新部寛次郎
摺師=和田藤吉
薄葉紙解説:
印刷人=野村宗十郎
印刷所=東京築地活版製造所
発行人=村山旬吾
尾形乾山作 桔梗絵茶碗(すごく琳派らしい!)
現在国立博物館蔵なのか行方不明、この美しい下谷乾山?の茶碗、もし存在するなら実物を拝見したい。しかし前にも意見を載せたように乾山に絵がどう見ても似付かない茶碗は論外(調べても確かな真作茶碗は多くはなく、こんなにもの種類の「乾山写」茶碗があるのは本当に不思議)。派手な変な絵茶碗よりこの版画の方が謎で趣があり魅力的、これを掲げておいしい茶をいただきたい。