小泉均先生:先生のご本の中の文字と文字の間に神がやどる。の言葉に私、やたらと感動しました。パーカッショニストの「ともとも」こと「山口ともさん」にも〜神が宿る、の話をしたとき、とんでもなく感動してましたよ。ともさんは廃品を独特のセンスで楽器にしてしまう注目のアーチスト!!その楽器がまた美しい!ともさんの話は今おいといて、え〜っと、そうですね。明日のラジオでは、「間」の話をたぶん語らせてもらうと思います。聞き手の村上信夫アナウンサーも、間の美学を語れる方。かけあいっぽくなるかも。夕方以降、村上アナと打ち合わせをします。活字の組が崩れて奇声をあげたのは、ハイ、確かにこのワタシでした。とほほ。。ちなみに活弁士の活動は、まだまだ始めたばかりですが、古い映像にもこだわりたいけど〜「活版印刷ワールドを語る活弁士」みたいな、現代のセンスも入れながらオリジナルの映像でも作って、語りをやってみたいなぁ、なんて思ったりして。それほど惚れこみました!! 2006.09.06
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大葉さん:
聞きましたよ〜〜。電話でのやりとりだったのですね。話がうまくまとまってました。
さて、話は活版でなくて、ラジオ。。。ぼく好きなんですよ。中学の時から聞いてて、夜中こっそりふとんの中で聞いていた。高校の時はもっぱら深夜放送聞きながら受験勉強(そのころありふれていた)。天才秀才バカとかGo!Go!NiagaraとかFENのAmericanTop40は絶対聞いていたね。そういえばJohnが殺された時は一晩中Johnだったなあ。
最近は眠れない時、ラジオのお世話になっています。人の話を聞くってことが苦手な人が多い世の中になってしまったような。。。急に落語を聞きに行きたくなった。
そう「トランジスターラジオ」って名曲があります。清志郎、がんばって!
活版に魅せられた人
小泉均先生!仙台で7月、活版印刷ワークショップに参加させていただいた大葉由佳です。リポーターの。。。活版印刷の体験は、「宝もののよう」です。こころにわいてきた文字を音声化すること。ラジオの語り仕事は、活版印刷の手仕事の感覚と似てるところがあります。間のとりかた、アナウンスでいうところの間に「切りきらず」というのがあって、それは、紙一枚で活字と活字の「間」をつくる感覚とか。。。活版印刷の工房でひと文字ひと文字、活字をひろっているとき、言葉や、それを組み立てている一音一音がいとおしいな、と思うことができてありがたい気持ちになりました。このときの感動を9月5日火曜日のNHKラジオでお話させていただくつもりです。朝9時5分ごろから。全国放送です。ナマ放送です。5分くらい。あ、小泉先生の「タイポグラフィの読み方」買っちゃいました。
笹木さんにも、感謝しています。ほんとうにありがとうございました。 2006.09.03
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大葉由佳さま:そうですか。明朝ですね。たのしみです。確か、あの時も「間」のこと盛んにお話されていましたよね。そういうお話になるのかな?
活字の組みが一度崩れてしまって(重力に負けて)、奇声をあげていたような。ちがかったかな(^^)活弁士っていうし、「活」がつくところやっぱり近いとこがあるのかな。
Froshaug<夏バテ<無休
ここのとこ、夏バテで、というか疲れかな、、、とにかく仕事、整理、準備、この夏は全く休んでいない。でも歳かなァ?っと、夜はゴロゴロして本を読んでいるんだけど、Froshaugの日記を読み直している。44才でRCAをやめて、勉強し直している姿が美しくって。とにかくぼくは大好き。彼は30代、ulmのタイポグラフィのカリキュラムを作るのにすごく苦労しているんですけど、もちろん活版のシステムを作っていくところがセンス抜群だよ(TypeShop_gの参考になる)。1953年夏にはバーゼルにホフマンとルダーに会いにいっているんですよ(^^)。。。1930年代からadanaも愛用して、勝手にへんな印刷物作っているんだ。いいな〜〜〜いいな〜〜〜。
笹木一義氏@smt
昨日で、せんだいメディアテークの学芸員、笹木一義氏が所を退いた。氏とは2002年から一年近くかけて「文字展」の企画をじっくり練って、ともに成し遂げた同士であった。また、メディアテークの地下にある活版印刷工房を盛り上げてきた仲間でもある。活版の仲間はぼくにとっては特別。これからの成功を祈りたい!
http://www.bunkanken.com/journal/article.php?id=129
http://www.bunkanken.com/journal/article.php?id=311
仙台は新たな時代がやってくる。
行間
今日はすがすがしかった。NIDでの最後の演習課題「カレンダー」を川岸でボーっと考えていた。XTCのAPPLE BOXのなかのブックレットがなんかいいっというか。めちゃくちゃイギリス臭いんだけどね。S.C.とITA.の使い方、行間が。。。悩むっ!と
デザイナーって?
インターネットが普及した今、使い手の知識というか情報を判断する力がとても求められていると思います。知識とか判断力ってその人がそれまで体験して培ってきたもの、のような気がするんですよね。。。なにが言いたいのかまとまらなくなってきました、が、
私は、koizumiさんが言っている事はすごく意義のある事だと思います。これから行おうとしている事も。
私事ですが、デザインってなんなんだろうってとても悩んでいる時にkoizumiさんのお話しを伺って、すごく勇気付けられたんですよ。デザイナーって、世間一般のイメージだとよく見る雑誌やパッケージや広告のデザインをしているとか、そういう派手なイメージを持たれがちですよね。実際私がやっている仕事(Closedなイベントで使用するものなので)を説明しても理解されない事が多々あります。。。そうすると何か自信がなくなってきて、胸を張ってデザイナーですと言えなくなっている自分がいるんです。
koizumiさんのお話しを伺っていて、こだわることの大切さって言うのでしょうか。すごく感じます。デザイナーって感覚とかアイデア勝負で有名な仕事をしてる方が認められやすいっていう感じがありますけど、先生はどんなものにでも、一つ一つデザインの意味をもって丁寧に仕上げていくっていうのをすごく大切にしているのが伝わってきて。。。物作りに対してとっても真摯というか。。。
私は果たして、人に認めてもらうとかの前に、自分でつきつめて納得いくデザインをしていただろうか。と思いました。まずは自分が本当に納得いくものを作りたいと思いました。そのためにもがいたりするのは恥ずかしい事ではないんだなーって。私もkoizumiさんのようにデザインに対して真摯でありたいと思います。自分がデザイナーとして今後どうなるのかちょっぴり楽しみになりました。それには努力が必要なのですけれど。
白金のお教室や地下都市もこれからがどうなるのかすごく楽しみです。 2006.8.22
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どじょうさん、長い御意見ありがとう!ひさしぶり、ここで会話をするのは(正直うれしい)。この時代のhtypoの終焉にふさわしいですね。そして、ぼくに負けず劣らず辛口、いい気分ですね!「design is attitude」これは昔から尊敬するヘルムート・シュミットのスローガンですが。まさしく、仕事に対する規範のようなものがどじょうさんの言っていることだと思います。ぼくもこれを守って生きていきたい。どじょうさんの仕事もきっと深いものだと思います。あなたが携わる前の状態、携わってからの経過そしてこれから。想像して仕事をしてみましょう、理想を持って。。。デザインの仕事は世間の情報が助けて、おっしゃるとおりどんどん派手でスター指向になってきてます。ぼくはあえてこれに背を向けて生きます。そこに大切な意味を感じているから。これは労力と時間がかかってたいへんな仕事だと思います。ぼくは地味な仕事が大好き。でも、仕事の喜びはそこにあります。そのことがわかってくれる同士が増えていくことがぼくの夢です。来年の4月からはひとつひとつ打ち込めます。
ぼくの本の第0章「タイポグラフィには分野がない」この章を実行に移す時がやってきました。白金の学校はたのしみでしょうがないのですが、どのようにしていけばよいのか。。。全くわかりません。試しにmixiに足を踏み入れたのもそのことがあるからです。ぼくのホームを覗いていただければわかります。ちょっと他の人と違うと思うのですが(^^)
ぼくはヘソがまん中に付いていないので。。。人に認めてもらったものがいいとは全く思っていません。ですから、賞、商業的に成功したものすべてがいいとは思っていません(最近のものは特に!)。上辺だけ見て判断する人たち、評判やうわさを聞いて信じてしまっている人たちは同じデザイナーっと呼ばれていても、ぼくとは全く違う人たちですね。>>>茶道を真剣にやればそれはわかります。
自分が納得するまで、しがみついて、結果を出すこと。。。そしたら、自分でご褒美をあげてください!
bbs 1000番目の書き込み
1000おめでとうございます。なんとなく記念っぽかったので(^o^)/~
2006.8.18
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どじょうさん、ありがとう!ひさしぶりのゲストさんですね。そう!1000を超えました。でも意見交換や情報提供がビッシリでこの数ではありません。最近のほとんどが自動的に送られてくるエッチなものや、くだらんサイト紹介のいたずらメールです。10年前はこんなことはなくて、いろいろな人の書き込みでにぎやかでした。(昔を懐かしむおじいさんみたいだね)>新しいサイトでは編集し直して登場します(1年以上かかった)。
きのう、「デザ現」の編集者にも話したのですが、1997年(仕込みは1996年)ちょうど10年前に、「デザ現」の連載と同時にHP上でWSをスタートしました。この10年でコンピュータ上で情報をやりとりをする、あるいはそれを体験するということが全くといっていいほど変わりました。日常になったというのかな、先日mixiに入って、より深くそれを感じました。加えて、希望塾のMLでもぼくが問題提起しましたが、素人の講演を聞いた解釈や感情でねじ曲げられた不正確なリポートをブログに書き込むという、おろかな行為の話もしました(プロの取材やインタビューとのちがい、ありかた)。つまり発信者の増加と発信内容の質のこと。
タイポグラフィ自体は全く変化していないのにタイポグラフィをとりまく条件や環境が急速に変化しています。これはタイポグラフィに限らず、日常であまり気がつかないものまで、、、(ぼくが大好きな京の町家まで)。でも、人が基本的に求め続けているものは同じだと信じています。一方、同じでは何も進まない場合があります。タイポグラフィの世界は、ぼくが興味を持ち出したころから、一人の世界にとじこもったり、集団でそれを閉じた世界にしてしまったり、ぼくはそれを解放することをしてみたかった。ぼくの本はその起爆剤になればよいと思っていました。今はある意味ではそうなってきて、かなりの層の人たちがタイポグラフィに興味を持って、有名なデザイナーだけが決してよい仕事をしているのではないということを証明してきているように思えるのです。とうとう次の段階になってきました。
ぼくのmindはいつもスイスでのタイポグラフィ・シーンがあります。1990年代、それは実に明るかった。ワインガルトその周辺の人たちがもたらしたものだとぼくは考えています。自由で輝くような時代だった。そのような時間は永遠ではないにしても、いつでも絶やさないでいたい。
どじょう>>>先日、定食屋でひとりでカウンターで食事をしていました。目の前の水槽にたくさんの「どじょう」がいました。ほとんど全員が水槽の底で固まってうごめいていて、ひとりひとりくねくねいろいろなポーズをして、まさに人間臭かった。ひとりだけ水面でほとんど動かないヤツがいて、死んでいるのかなって思っていたら、急に水面に顔を出して息を吸って、水底まで降りていって群れの中に入ってゴソゴソしてまた水面に上がってきて、元気がなくなって。。。おそらくもうすぐ死ぬのだと思うけど、そんなヤツつがいました。水の層、どじょうの層。
ここのところ、元気がなくって、でも。。。自分にきびしく。
いまだに、ときどきぼくのハイパータイポのワークショップやりたい方がいらして、「デザ現」編集部宛にメールをくださるそうです。新しいホームページでは「htypo classic」としてできるようにしたいと考えています。
日記みたいになってしまって、なんどもやめようと思ったけど1000を超えたのは、よかった。(^o^)/~の~が「どじょう」みたいですね。。。
「デザ現」ボツ
Univers/D&P活字発売当時のパンフレット掲載のはずが、ボツってしまいました。(;_;)
TypeShop_g on mixi
どうなるんだろ? 地底都市mixiにTypeShop_gのことを載せた。
http://mixi.jp/view_community.pl?id=1221299
@ABC
8月19日からABC本店において「ブックフェス2006この本はほんとうにいい、本屋でヴァケーション」のために、ぼくからは手前味噌m(__)m