音無川(おとなしがわ)

石神井用水は、石神井川の水を王子神社と南の飛鳥山の間でせき止め(王子石堰=明暦2年 1656年 築造)東へ流した用水。別名、音無川(王子川)という。
流路:東京都北区王子から田端、西日暮里、日暮里の現在のJR線に沿って流れ、日暮里駅前から、荒川区と台東区の区界を形作っている。三ノ輪まできたところで流れがいくつかに分かれ、北東方向には石浜川として、南東方向の流れは思川として明治通りに沿い泪橋を抜け白鬚橋付近で隅田川に注ぎ、もうひとつは日本堤沿いに山谷堀に通じた。明治時代の正式名称は北側に分水される根村用水・上郷用水に比して下郷用水と呼ばれ、下郷18カ村で石神井川下用水組合を結成し、農業用水として管理されていたが、宅地化にともない昭和のはじめまでに管理組合は廃止された。江戸期には蛍も飛び交ったといわれたが、次第に汚れ、現在はすべて暗渠化されて下水道となっている。
日暮里駅前の消防署「荒川消防署 音無川出張所」に名が残っている。(Wikiより)

大隠

憧れる。悟りきって、俗事に心を乱されない隠者。俗世間を超脱した世捨人。「大隠(たいいん)は市(いち)に隠(かく)る」«王康琚「反招隠詩」から» 真の隠者は、人里離れた山中などに隠れ住まず、かえって俗人にまじって町中で超然と暮らしているということ。略したものが大隠朝市 (たいいんちょうし) 。

太平一曲大家知②

兼中斎筆。心落ち着かせて、初めて手にした茶掛(初心)との対峙で濃茶自服。
「一つのことを静かに成し遂げたものは、大きな世界を掴み取ることができる。自分という一曲をやり抜くとそれ以上のことが見えてくる」ということであろう。
『日々のけいこ』に掲載されている長生庵にある竹田益州の書の写しであろうか、いつ見ても滲み入る。

小池知事の信義則は?

よくも言えたものです。=昨日の赤旗。

それはわかりきっていたことであって、いまに始まったことではないと思いますが。オリンピックはどうなるのでしょうか、コロナで傷ついている人々なんかまるでおかまいなし。菅の保身も全く同じく。「all現状しがみつき族」

AERA 1846号

pp.54,55今回の細野さんと鶴瓶の連載がとても興味深い。 「100%受け身」=ぼくは大学の教師を辞めてからこれに徹していた。ところが昨年から出版社を始めて、誘うことがある。これが間違いなのか? 笑。それにしても大瀧さんのボソッと言ったことがイイ!

臣僧抱一

偶然だったが、とてもおもしろい落款。一本の細い線でなく薄墨を使って外隅(そとくま)で富士山を描いている。それは一息で富士講の象徴ともいえるはっきりと不規則に三峰形にして、周りの暈しと彩色との滲みによって微妙な立体感を生み出している。それにしても西村南岳の極メということは、やはり上野に関係しているのだろうか、、、うちから500mのところに住んでいた謎の絵師。江戸琳派が集っていた音無川ほとりを想像してしまう。大概の茶掛富士画賛の輪郭一筆は実につまらない。誰がはじめたのだろうか、、、やはり、この抱一のモヤモヤはワインガルトのそれに似ている。

口伝

筒茶碗。一客一亭。 基本中の基本を正確に。先生のkuden素晴らしい。やはり、稽古を繰り返すこと。これはリモートでは絶対に無理。技を教えるということ。