https://www.hanmoto.com/bd/typeshop-g-press
登録させていただきました。とうとう刊行間近になってきました。
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珍しいインタビューだった。赤旗なりの追究の記事でしたが、このNHK特番内容自体の矛盾をより正確に語ってほしい。おそらく、この国の将来、政治と報道のあり方に重要なことなのではないか。
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000249168
なるほど、落語でしたか。ほんとこうだよね(昨日思った)。早く笹乃雪に行かなきゃ。笑
雪登希や 飛石一ツ 二ツ 三ツ
お盆は今日で終わり、茶通箱(ここのところ毎週日曜この稽古ばかり妹とやっている)5回目、あまりに暑いので、床の掛物から冷気を。この水墨のすごいのは、紙の白すべてが雪であること。何も描いていない空間は雪という物質を表している。先日見かけた鈴木其一のおそらく真作の「瀧図」は高価すぎ(肝心な空間が虫喰いだったし)、この雪の白は完全なる静かな紙の力があって、あの瀧の水はここまですごくない。まさしく「意味を持つ間」である。ぼくが持っている唯一の画賛の茶掛(優れたバーゼルのポスターと同意)。掛ける時期が違うのでは、とお叱りを受けるかもしれませんが、あえてぼくはこの猛暑の今。
全く興味がないけど、冷水点というのがあって、茶碗のなかに氷の溜まりが(点ててから入れるのだろうか?)、、、おそらく実際の温度が冷い抹茶を、単に飲むだけのこと!
お盆の夜は翠巌宗珉。夜咄今終わりました、、、なかなか大変、やっと。やはり石菖蒲で清めて。とても医学的な茶の湯。
まどかなること たいきょにおなじ
以下は略されている:
無缺無餘
かくることなく あまることなし
良由取捨
まことに しゅしゃによる
所以不如
ゆえに ふにょなり
円相(一円相)の元となる禅語。中国禅宗の三祖、僧璨(そうさん 生誕不詳-606年没)の『信心銘』6句目。禅宗四部録の一つであり、鈴木大拙は「堂々たる哲学詩であり、禅旨の大要はこれで尽きている」と明言した。大虚とは大空(宇宙万物の根源を示す概念)のこと。やはり丸で囲まれた「圓」の字がとてもいい、大虚の二字がなぜかそれに重なっている。不思議な空間、とても珍しい。泰禅叟、おそらく最晩年。老師の書は『永平寺の聯(れん)と額』にたくさん残されていて、いつも見ているが、やはり本物はすごい!お盆にぴったり。ご先祖様、和尚様、どうもありがとうございます(今年はコロナで伺えません)。
ここのところ、何回か読んでいるのだが、この今、このような両氏の話から想像すると、これからの茶の湯や茶道は大きく変わっていくかもしれない。
https://www.nespresso.com/jp/ja/coffee-recycling?utm_source=Email&utm_medium=EM&utm_campaign=Recycling&utm_cd62=B2C&utm_cd63=INT&utm_cd65=Launch&utm_cd66=Brand&utm_cd67=All&utm_cd70=20200729_Recycling&utm_id=bfeff7c0-9a68-4ca1-89fb-3c21fc23fcda
日本でもようやく始めたのか。スイスでは初めから、ぼくが住んでいた頃からだから30年ぐらい前ですね。
祖父鎌二郎、叔母高子、父元治の悲願のひとつが実りました。うちのプライベートな日韓交渉は今日をもって事実関係が終決。とにかくガマンにガマン。中地先生とともに一昨年9月から今日まで長きにわたり、やりきった。とてもうれしい。平和に清らかに、うちの裏を音無川の流れていた頃に、美しい江戸の農村に、多くのご先祖がいた頃に、少しでも戻って欲しい。ぼくの心からの願い。
そして次の段階に。
りりょう みょうしゅを はく「死力を尽くし、たった一つの重要なものを(師から)手に入れよ」出典は『碧巌錄』のよう、第62則•頌の著語に「驪龍玩珠」とあるが、当の五字は発見できず、新山李白詩千外儒別經に「驪龍吐明月。解領得明珠。」とあるが。驪龍は想像上の黒い龍。龍は首のところに神秘の宝珠を隠し持っていると伝わる。おそらく、師と弟子の問答を意味し、師が龍で、宝珠(法)を吐き出すことを示しているのではないか。
一方、絵的には黒竜と明珠のコントラスト。つまり日本画昇龍のような世界を想像しやすいのですが、この言葉の深さは計り知れません。五行では、黒は北を示し守護する神聖な竜とされ、闇龗神とする。そうであるなら「明珠を闇に投ず」に近い解釈もあるかもしれない。
幕末の大徳寺461世/觀宗義諦の筆。1867年61才(ちょうど今ぼくの歳)寂。あまり一行書は見かけない。いつ頃書かれたのか、なかなか力がある。調べていたら同じ言葉の掛軸が裏千家に、元伯宗旦筆、坐忘斎箱、覚々斎箱があるらしい。