紹鷗緞子写帛紗

友湖による写し、本歌は名物裂紹鷗緞子
https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0009076
https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0010199
やはり東博にある。明時代の古裂手鑑にもある一重蔓唐草の中にうまく火焔が遇われ、雨龍も配されているよう。武野紹鷗の愛用していたものに由来するが、十四屋宗悟が所有していた宗悟緞子にも関係があるようだが、どのように出来上がったのか詳しくはわかりません。この出帛紗、なぜかシンプルで、ほんとうっとり。

即中斎在判 独楽ノ紋香合

今日は山鉾巡行。
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さて、写真は井上良斎作の染付。最初に見つけたものですが、成約済みでした。これは即中斎の書付(箱書)はあるのですが、香合の蓋裏に花押が書かれていない。その後いくつか見かけたのですが、在判のものはないのです、、、謎。坂倉新兵衛13代と14代も作っているようですが、ぼくのは12代の、全体に、ほんわかした色合い、手触りも抜群の萩焼き。もちろん、朱書きの在判、箱書も素晴らしい。本当にこの香合のような即中斎の解釈が好きで好きでたまらない。こういうことを「傳来写シ」というのだろう。
どうして、ここまでこだわって探しているのか理由がある。
三千家の独楽の家紋に微妙な記号的な差があり(ツボツボも同様に位置と重なりの違い)、おそらくことのはじめは如心斎自作二つの香合、これが「本歌」なのだと思う。これは丸みを帯びていて黒っぽい。即中斎のものはほとんどが白っぽく、平たい。それと、渦のカタチはシンプルに、、、まだまだいろいろと探索は続くのですが。
https://www.kitayamakaikan.jp/test/exhibition/past/2005/pdf/exhibition_20050609_mokuroku.pdf
独楽紋・Komamon

結界

とは、Barrierではない。
(存在はあるが、できるだけ空を感じるものを探している)
●●寺の古木の、
竹の、
石の、
とても重要。
そして扇子で(必要とされるとき、いつでも)。

澤木興道筆 萬象之中独露身… (1941)

とうとう探していた掛物に出会った(なんと、ヤフオクで見つけたので10年以上ぶりに入札してみた)。茶掛けというより、仏事掛けなのかもしれない。表装が傷んでいるが(一種の詫び)、「回」の字なんか感動的(渦=無限大の円相)! 筆が走っている。生生きとした書を見ていると想像が膨らむ。この30日は父元治の22回忌。檀家にしていただいた佐久の貞祥寺には澤木老師の書がいくつも掲げられている。いつかはうちにも、、、と思っていた。また手に入れた禅語がとてもいい。
萬象之中独露身
ばんしょうのうちどくろしん
更砂何処著根塵
さらにいづれのところにおいてか、こんじんをつけん
回首独倚枯藤立
こうべをめぐらして、ひとりことうによってたてば
人見山兮山見人
ひと やまをみ、やま ひとをみる
中国唐末の禅僧、長慶慧稜禅師が悟りを開いた時の心境を述べた偈があります。(景徳伝灯録、巻十八)「万象の中に独り身を露あらわす(森羅万象の中における独尊の身。各自の本来人をいう。天上天下唯我独尊と同じ)」からはじまって、、、
鎌倉後期から南北朝にかけての曹洞宗の僧、大智祖継(永平六代の祖)による山居の偈頌(げじゅ)集に収まっている一篇。
https://www2.dhii.jp/nijl_opendata/searchlist.php?md=thumbs&bib=200013620
最後の「疑うらくは私が山を見ているのだろうか、山が私を見ているのだろうか」という意味の言葉、現世ついには問答を勘違いして人が山を見るだけの世界になり、人が山を切り崩し、山を征服するようになった。つまり一方通行の、、、
澤木老師の著作は相当読んだから、この掛軸から話の世界はここ小さな茶室で広がるけど、同じ禅僧でも、小慣れた書(書家と類似するような良い姿の書)では、その僧侶の禅の世界は説明できないし、前大徳塔頭一行物や一字書みたいな高価でかっこいい書は、たぶん理解できないので購入することはないだろう。やはり、ぼくの原点は福井の永平寺(1244)と輪島の總持寺(1321)なのかもしれない。京都の大徳寺(1325)は何度も訪れているが、重要なところには入れないし、偉大すぎてぼくの茶のレベルでは接点があまりにもない。

茶カフキ之記 無着軒ニ於(1981)

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執筆は兼中斎、箱書きもしているということは、おそらく皆中者の方*に、表装してお渡ししたのでしょう(通常は紙を筒状にして、ただ天の端をペコッとするだけ?)。
– 笑子* 全
– やゑ
– かツ子
– 㐂代子
– 弘子 一
全てが女性。なんとすごい、豪華な茶会だったのでしょう(亭主は不明)。如心斎が制定した茶カブキ(闘茶のひとつ)は利休忌2月28日に行われるのが慣例なので、その頃出す茶掛けですが、ぼくは客との話の向きで、これを掲げようと思っています。茶カブキの本来の深い意味(ある種の戒)を今一度考えることなど、再認識したいものです。
皆中者がいない時は、このように外に出ない記録なので、とても目出度い貴重な軸だと思います。どうして手放してしまったのだろうか、謎。やはり即中斎書付のがあったら見てみたいけど。客個人の思い入れがあるから、きっと巷には出ないと思います。
ところで、最初の記録は『利休忌茶カフキ之控』、その頃は記録を渡さなかったようで:
不審菴ニ於(1744)亭主は多田宗菊、試筆は中村宗哲
– 如心斎
– 堀内仙鶴(初代)
– 淡斎(小西彦右衛門) 全
– 宗雪(川上不白) 一
– 長入(七代樂吉左衛門)
全てが男性。この面面、想像するだけで興奮する。やはり5人。ぼくのと書付の感じがとても似ている。
難解な消息より、ぼくは好きです。

Tom Sachs: TEA CEREMONY

https://www.operacity.jp/ag/exh220/index_e.php
https://bijutsutecho.com/magazine/news/exhibition/19691
今、日曜美術館で放映されてた。興味深い人だけど、全てゴミだな。
感想:正座していたので、安倍信三よりは理解度が上のよう。

父子ふたり合筆の茶掛

不仙斎添書 兼中斎若書、「長生庵 吉彦書之 平常心是道」
後にご自身で箱書されて、これを世に出していることのすごさ、加えて表装の状態も傷みですごいのだけど、そこが何かを言わんとしていて自然でよい。ぼくに合っている侘。
実は、長年、墨蹟花押ふたり(高僧と宗匠)の茶掛が気になっていたのだけど、そういうものは印刷物でしか見たことなく、実際にはなかなかお目にかかれない。一方、風炉先屏風など絵の余白に書き添えた画賛はよく見かけるけど、うちの茶室には相応しくない(書家の表具や画家の作品は絶対にありえない)。
「びょうじょうしんこれどう」
意味は「ふだんの心が悟りである」ということ。
無門関第十九則「平常是道」本則:
南泉、因みに趙州問う、如何なるか是れ道。
泉云く、平常心是れ道。
州云く、環って趣向すべきや否や。
泉云く、向かわんと擬すれば即ち乖く。
州云く、擬せずんば争でか是れ道なるを知らん。
泉云く、道は知にも属せず、知は是れ妄覚、不知は是れ無記、若し真に不擬の道に達せば、猶大虚の廓然として洞豁なるが如し、豈に強いて是非す可けんや。
州云く、言下に頓悟す。
唐の南泉禅師とその弟子趙州禅師の問答で、南泉禅師が「平常心」といい、趙州がこれを「道」と会得し、「日常の用心」と悟った。この公案を瑩山禅師の師である義介禅師が説き示されると、瑩山禅師は「日常あるがままの心が仏道そのものである」と、たちまち心が開け、「我れ会せり」と思わず叫ばれたそうです。
若くして、この言葉を選ばれたとは、なんと素晴らしい方なのか。茶を点てるたび心せねば。いつの歳頃の書なのだろうか?(おそらく旧制中学1930年代前半) それにしても勢いがすごい書です。積極的にふだんからこれを掛けよう。理想的な茶掛!

金林寺

ツボツボがない即中緞子の袋を着せたのは、誰なのだろう?
この人のおいしい濃茶を想像してしまう。
未だに茶入(焼物)は気に入ったものに出会えない。それにしても溜にはうっとり。