春入千林處々鶯

元伯宗旦が、類語として「花」を「鶯」に置き換え視覚を聴覚に移行した句を編み出した。元句は
葛藤集、北磵居簡禅師語録 春入千林處々花 はるは せんりんにいる しょしょの はな (秋沈万水家々月 あきは ばんすいに しずむ かかの つき)前半句=春は至るところに一樣の花。季候各本分ありの意。法性は何處も彼處も一様、つまり森羅万象すべてに、平等に仏の世界(法性)が行き渡り、人は一切の衆生を備え、仏になれる本性のない人はいない。それは無限の大自然の見えない働きにたとえて、仏の慈悲がいかに公平無私にして広大無辺であるかとした。即中斎最晩年筆七字一行物。金霞料紙、14代飛来一閑造軸先、春芳堂表具、桐塗二重箱。ケカウ!
高島屋好み物展において、3.猶有斎筆七字二行物。トリメメ

栗に芥子

大小を組み合わす/対照
重々しき道具に、寂びて軽き物
肩衝の茶入に、薄茶は棗
丸壺に、中次
雲龍に、盥の水指
大風炉に、小板
古織の細口の釜に、小ぶりなる柄杓

春色無高下

『圜悟語録』掲載 しゅんしょく こうげ なし (花枝自短長 かし おのず から たんちょう あり)と対句が続く、直訳は「春の景色、風光に上下の差等はない (花の咲く枝はそれぞれに長いのもあり短いのもある)」
『禅林句集』には、「平等中の差別。長者は長法身、短者は短法身」とある。『禅語字彙』には、「前句=同じやうに育てゝも、後句=物に出來不出來あるをいふ」とある。【前句=真理はひとつであるが、後句=そのあらわれ方はそれぞれ異なることのたとえ】季節の春に限った掛物ではないことがわかる。大徳寺376世/非心義覺はあまり見かけない墨蹟だが、よく画賛で登場する。『大徳寺歴代墨蹟精粋』には載っているので、やっぱり書き手なのだと思う。とてもいい景色。

無事

大徳寺447世/拙叟宗益(せっそうそうえき)の墨蹟(1850年ごろ)。昔の大徳寺は謎ばかりで想像することがとても楽しい。塔頭のひとつ玉林院の13世住職で、茶の湯に深く関係があったこの高僧の書は兼中斎好み(おそらく惺斎好みの影響?)。茶掛けというよりは、純粋に禅語に前大徳の花押と白文印朱文印とセットを拝見する。残念なのはこれには関防印はなし。一文字の宝珠と玉文様はおそらく袈裟裂に金で複雑にのせ、如心玉紹巴の原点のよう。他天地中廻し柱すべて同じで、とても単純な表具。言葉通り。
1847年に、先住の月舟宗中が遷化され、これまで師匠から受け継いで実践してきたものを自らの備忘のため、また将来の玉林院の師資相承を願って、『玉林院年中行事』を書いておかれたのであろう。原文は、禅の専門用語が多く、詳細を極めているらしい。その書との関係、、、内容は狭義の行(修行・勤行・寺務など)つまり禅院での生活全般である。当時の玉林院は塔主(たっす)/住職を中心に、役務を分担して修行される僧院であった。大庫裏の中は、典座(てんぞ)や納所(なっしょ)など、そして茶堂もあったらしい。やはりこの頃の茶坊主さまの生活はとても興味深い。1845年、10代吸江斎祥翁宗左は拙叟宗益より【安祥軒】の軒号を与えられている。

ノンコウ七種

黒茶碗
稲妻 江岑書付
獅子 如心斎書付
升 覚々斎書付
千鳥 覚々斎書付
赤茶碗
鳳林 江岑書付
若山 如心斎書付
鵺 覚々斎書付
昨日のは、赤で、京焼となっていた
宗旦の時代だと、古いのか、、、道入初期?

今日事実も分かった

今日は、すごい日。なんと全てが明るみに。
そうか、仲介者=ブローカーなのか!とてもショックだ。
権力を持っている。なんておそろしいことだ。くわばらくわばら。
http://www.pref.hokkaido.lg.jp/kn/ksk/kenjohp/sido/info01.htm
わかりやすい。

欠一着

大徳寺370世/萬輝宗旭の横物墨蹟(1750年ごろ)。表具は穴が空いているし、超ボロボロ。
清代の宗門拈古彙集(しゅうもんねんこいしゅう)という白巌浄符の編の禅籍から、康熙3年の自序のはじめに、おそらく、
…鋒到銳時欠於趨避。總是墮身死漢。南泉父子可謂善轉身矣。善趨避矣。然細撿將來。 尤欠一着。且道那裏是他欠一着處。天井新云。南泉欠趙州一着。趙州輸南泉一機。作麼生會。千年故紙好合藥。趙州示眾。老僧今夜答話去也。有解問者致將一問來。…
この節から引用していると思われる。
「特にそれを借りている。そして通りの裏に借りている場所がある。」ということなのだろうか。不明が多い禅語。
肝心な千家との関わりですが、「不白翁句集」に、利休忌につづいて利休の菩提寺である大徳寺聚光院への墓参の句が載っている。また、この萬輝禅師が東海寺92世の輪番を終わらせて、琳光院に再興されたと記されている。おそらく啐啄󠄁斎若年と交流があったことだろう。
先日の玉舟宗璠のなぜか朱文印しかない「閑事(かんじ)」より、なんか深味がある言葉と奇妙な書、、、この謎に満足。
それにしても如心玉金襴の一文字、、、天然忌、まだこの軸だっていう円相には出会わない。
この玉舟宗璠は本歌だったようだけど、昔の前大徳は贋作ばかりよく見かける。とても慣れたすごい筆!おみごと。

new home page!!!

A.Typ.I Tokyo開催前夜、とうとう、リリース!
https://typeshop-g.co.jp/
結果的に、ペイニョの本を自前で出版するため、作り上げたホームページとなりました。それに、ここ足掛け4年に渡って、断捨離、引越し、施設作り、に時間と労力を掛けてきた成果です。やっと世の中に出ました。
2006年に当時のチャットを編集して、archivにまとめてリリースして以来。手を加えました、、、どころではないか。練りに練ってというか、仕事先で、いつも小泉さんの(仕事の)ホームぺージないの?って聞かれ続けて。
今回のホームページは、y氏と10年近くかけ(最近はWebDeignerの名は伏せるようです)、途中まで作ったものを、すべてやめ。すごい状態で、もう一度ゼロから作り出して結局ここに落ち着いたものです。今の状態ではぼくのポートフォリオは全くできておらず、まず予定では大学辞めた直後のものから、全て見られるように、なる予定。いままでポートフォリオというものを一度も作ったことのないデザイナー。進んで賞を取りに応募したことのないデザイナー。印刷物はprinted ephemera仕事が終わった瞬間から、すべて忘れ、次に向かう。
スタッフの宇野は今年10年目に入ります。もちろん彼女の独立したページも考慮に入れつつ、まだまだ遠い道。