あおしまの日記

http://d.hatena.ne.jp/aoshimak/20090801/p1
ぼくの事、書いてくださるのはかまわないのですが、
http://d.hatena.ne.jp/aoshimak/20050731/p3
ミキさんの遺品を、勝手に写真撮って、無断で、ご自分のサイトに載せるのはどうかと思いますね。
ほんとうにIBM 5×7カナ(いわゆる半角カナの原形)デザインのためか、どのようにされたかが、解明できていないのに、このようにされて。困るなぁ。
ミキさんの遺品を、きちんと整理して、アーカイブにしなくては。。。
この年末に昔のカナモジカイの会員の方から、一台、貴重なとても古いタイプライターROYALを譲り受けました。これも含めて、個人が所有するものではないと思っているのですが。きちんとするには、人の手間と時間がかかります。とてもぼくひとりではできない。

あおしまの日記」への6件のフィードバック

  1. 正確にははじめましてではありませんが、はじめまして。
    出来るだけ早く、小泉さんがお持ちの資料を多くの方に見ていただける機会が生まれることを、切に願います。その際にはこの画像は喜んで取り下げましょう。少なくとも、このクルクル玉の模型ひとつに関してだけでも構いませんから。本来私のサイトにこの写真がある事が異常なのです。ぜひ先生のサイトでご紹介いただきたいです。私からもよろしくお願いします。
    私もその昔ドット模様を方眼で描いては入力していた時期がございました。これを見た途端、これは賢い方法だと感心いたしました。その感動を小泉先生に伝えるのは困難かもしれません。ただ、これを見た途端に私は非常に腑に落ちたのです。ですから、このアイデアを多くの方に伝えたいと考えて掲示させていただきました。
    ただひとつ言わせていただければ、一級の資料を後生大事にされたままでいるのは、資料を受け継いだ者としての義務に欠ける行為ではないでしょうか?この玉のくるくるも、本来は文字展に展示されていない資料だったではありませんか。このような物が存在する、引き継いだのは小泉先生である、それだけでも、情報を必要とされている方へのバトンとして効用があると私は考えていますがいかがでしょう?文字展が開かれたのはいつですか?それからこの日記が書かれるまでに何年掛かり、小泉先生がコメントを残すまでに何年掛かっていますでしょうか?その間にどこかでこの資料をご紹介されたことはございますか?これを死蔵と言うのではありませんか?

  2. あおしま様:前向きなお話とご質問、ありがとうございます。
    はじめましてでなかったのですか。でしたら、常識としては、まずぼくに一報するのではないかな?よほどのことがない限り、ぼくは「どうぞ」というと思いますが。ネットですぐみせたがる病のひとつと、ぼくは受け取りましたが。やはり、無断はよくありませんよ。謝罪の言葉があるべきでしょう。
    まずハッキリさせておかなくてはいけないことですが、一級の資料といわれてましたが、ぼくの所蔵品を見たことがない人が、どうしてわかるのですか? 不思議な人ですね。貴君には正確に物事を見て、その見解をと願いたいものです。blogへは、ぼくのやったことをきちんと調べ上げてから書き込みをしてください。その辺が不正確ですね。それを前提にお話をしないと。。。TeXのこともそうですが、、、(^^)
    > 資料を受け継いだ者としての
    > 義務に欠ける行為ではないでしょうか?
    確かに、その通りかもしれません。しかし、詳しい経緯を知らない貴君は、何もいえないと思います。ミキさんの遺品は、奥様が遺言で、ミキさんのアトリエにあったものを小泉にということでした。長年、息子のアラタさんがアトリエにそのままに置かれていましたが、アトリエを取り壊すということが決定したので、立ち会いのもとに、処分に近いかたちで、ぼくがそっくり譲り受け、当時長岡造形大学の研究室にすべてを運びました。おそらく、(水に当たっていたものも多く)ふつうでしたらゴミ同然になってしまったものを、ぼくが受け止めました。つまり、その後、どのようにするかは、ぼくの自由だと思います。例えば、貴君がblogに載せた手作りのシミュレーターは、抜き出された引き出しの中の筆箱の横に無雑作にあったもので、普通の人が見たら、そのままゴミ箱行きです。いろいろなものがありました。時間も経ちました。カナモジ関係以外のものはすこし散逸したかもしれませんが、カナモジ関係はすべてそっくり残っています。
    blogにも書きましたが、そのままですから、個人が所有してよいものか。しかし、このようなものを、どこもきちんと処理できないのが現状です。ぼくはミキさんが勤められたことがある会社、Toppanの印刷博物館にも申し入れをしましたが、断られています。もし受諾されても、ぼくが気に入ったプロッジェクトととして成立をお約束いただけなければ、お譲りはしません。それがぼくの責任だと考えているからです(極一部の本当に必要としている人に標準をあわせた考え)*。

  3. > このような物が存在する、引き継いだのは小泉先生である、
    > それだけでも、情報を必要とされている方への
    > バトンとして効用があると
    > 私は考えていますがいかがでしょう?
    最近多い、ただモノを陳列棚に並べたり、ターゲットが決まっていない展示会のようなものに、ぼくが持っているものを並べるつもりはありません。また、部分的に情報(画像など)を発表するつもりもありませし、部分的に(バトン)譲るつもりもありません。中途半端で解き放つことは本意ではないからです。例えば期が熟して50年経って、明らかになるhelveticaの資料ということもこの世にはあるわけです。ぼくはぼくの役目があり、それを貴君から指示される覚えはありません。自分で考え、そして行動していきます。これは、タイポグラフィの分野で多い誤情報が一人歩きする可能性につながるからです**。
    > 文字展が開かれたのはいつですか?
    > 本来は
    > 文字展に展示されていない資料だったではありませんか。
    2003年開催ですが、2002年約一年間近く企画は、もんでいます。当時「文字展@smt」には膨大な陳列物品候補があり、カナモジ関係ばかりを多くするわけにはいきませんでした。コンセプトも一本化できなかった。完璧な仕上がりではなかったと思います。なかなか、キュレーションというのは、むずかしいです。
    > それからこの日記が書かれるまでに何年掛かり、
    > 小泉先生が
    > コメントを残すまでに何年掛かっていますでしょうか?
    残念ですが、ぼくはカナモジだけやっているわけではありません。
    > その間にどこかでこの資料をご紹介されたことは
    > ございますか?
    これは**に同じく。
    > これを死蔵と言うのではありませんか?
    死蔵という意味がわかりません。今、おかしな時代、検索やボタンひとつで見られる!見れないものは死蔵?

  4. > 出来るだけ早く、
    ぼくの資料を多くの方に見ていただける機会が生まれることを、ぼくも望んでいます。しかし、blogでもいいましたが個人の力では、なかなかむずかしいのです。
    貴君のこの画像は取り下げなくてもよいのではないですか。ただし、少なくても以下の下りを正確につけてください。でないと、見に来た方があれでは何のことか全くわからないと思います。「非常に腑に落ちた」つまり貴君が理解できた範囲内で、コメントをつけてください。それが貴君のblogを見に来た方への真心、つまり、「このアイデアを多くの方に伝えること」ではないでしょうか。
      このクルクル玉の模型、、、
    ぼくは、このような個々の細かい解説を必要とするタイポグラフィの情報を、blogなどには載せるつもりがありません。そのときに、言い捨てて終わってしまうメディアだからです(twitterみたいなblogに相応しいお話しは、たくさん載せますが)。後世に残したい情報は、現在の書籍上で発表していくのにリスクが高いのです(*とういう理由からも)。ですから、計画中のTypeShop_gのiTunesアプリのシリーズで紹介していく予定です。
    ということで、回答になっていますでしょうか。(すみません。コメントが長くなって、3つにわかれています)

  5. 小泉先生
    先生とははじめましてではないのも、この写真が私の手元にあるのも、全ては文字展@smtのオープンカフェでのお話を私が聞いていたという所に理由があります。2日間あるセミナーのうちの1日目だったと思いますが、展示はしないものの、いくつか小ネタをお持ちになっていた記憶があります。その中には、この装置?も、あとはUniverseの大きなgの活字や、紙に描かれたgの字のデザイン図(Frutigar氏直筆の)や、資生堂の木版活字などもあったように記憶しています。あの写真は、セミナー後に先生に口頭で許可を得て、当時自分のデジカメで撮影した写真です。(背景の緑はsmt備品のテーブルの色です。)
    私は自身の経験でのドットで文字を表現する事と、大学の粗大ゴミ置場でIBM電動カナタイプのゴルフボール状の半角カナヘッドを見た事などから、タイプヘッドからドットフォントへの転換には、誰が何をしたのかという空白がある事を認識していました。その上でこの装置?を手にした先生と、その説明を聞いて、これはすごい歴史的意義がある事業?の証拠品であり、コンピューター史としては残すべき文化財だと私はその場で思いました。
    私は文字展オープンカフェの感想を当時の日記に書いていました。(現在は手元にデータはありますがネット上からは消えています)そこには、この写真とともに書いた日記に、以下のように書いていました。
    「この演目で一番収穫だったのは、三木さんという方が『カナモジカイ』なるコアな組織を主催してたり、IBMのカナタイプの字母を作っていたり、あまつさえそれをビットマップ化する際に使っていた道具なんてのが実物で出て来た事。これを見て、長年謎に思っていた、奇っ怪な『5×7ドットカナフォント』の由来が解って良かったです。ふうむ、この人がこの時違うアスペクトでやっていたら、あの半角カナのみょーな字は生まれなかったんだなと思うと歴史的な意義のある小道具だと思うのですな。これ1つで今日の元を取ったと思う。」(この内容はセミナーでの先生の話をメモっていましたので、そこから来ているはずです。)
    そして、当時はその日記に対して、長岡造形大ならびにsmtまたは印刷出版業界の会社からのアクセスが頻繁にあった事などから、既に小泉先生に認知されていると考えていました。先生に許可を頂かなかったのはこういう理由からです。
    そのページはその後約2年はそのままの形で保持され、そして削除されました。その後、現在のページに移行し、とびとびの日記を継続しています。ただし、以前の日記は多くの情報を日記ではない形でも併記しており、一人wikipedia状態のサイトでしたので、現在の日記の形式にはそぐわない事もあり、多くのデータは引き継がれては居ません。ただし、それが勿体ないと思って、何かの機会に表に引っ張り出そうとする努力をしている期間があり、その中であの写真を再掲しました。それが現在見ると、経緯から切り取られて写真のみ掲載しているように見えるのも確かです。
    そこで、あの写真については、当該ページからは一旦削除したいと考えますが、また改めて撮影の経緯、先生の話をまとめた形で別の日記として再整備、再掲載しようと考えますが、いかがでしょうか?

  6. あおしま様:
    オープンカフェですか。なつかしいですね。過去のいろいろなことまで書いていただき、ありがとうございました。確かに講演の後に、いろいろな方が、ぼくの講義卓のまわりにいらっしゃっていましたね。写真撮っていた方もいました。もちろん許可も。。。
    経緯はたいへんよくわかりました。過去のことは、ここまでとしましょう。あおしまさんの言葉で、ぼくの知識より専門的に豊富にしていただいて、そちらの責任で事実関係がハッキリしたものを、再掲載、未来に向けて、、、それはすばらしいと思います。そのときにはご一報をココに書き込んでください。

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