令和2年12月号 同門

別冊。かなり激震です。

この媒体に玄関さんの原稿を載せるといったことは、前代未聞ではないでしょうか。覚々斎以降、家元を頂点とした家元制度が確立してきたのに、とうとうここまで。三木町氏(弟さん?)の口上というのはどうなんでしょうか? たとえ大役を担っていたとしても影で働くべき。基本は家元が全てをお決めになって、千家から発する言葉は全て家元の言葉であって。家元たる千家当主は絶対的なもの。そこから直属の門弟に稽古をつけていくのはないでしょうか? (ぼくのような下の下がいうようなことではありませんが)。今後の表千家は猶有からではなく家元グループとして存在していくのでしょうか?さて、散文は六人のうち二人のが載っているのですが、この話は何なんでしょうか?「釜を懸ける」ということの答えにはなっていない。良いテーマなのにとても残念です。

一方、昔のたとえ、惺斎や即中の高弟たち。ある意味完全であったに違いない。元千家にいらして独立されて茶人になってからのことでしょう。そういった方々は、真の茶人であって、その経験や感想あるいは内訳話を発表したり、門外不出の宗匠の稽古などは口外しなかったのでは。それも含め茶の行いとして。

ぼくら後世のものは、高弟の極メとか墨筆とかで度々目にすることはあるが、その力量はそこから想像できるのであって、個性もあるがその宗匠の色もあって、とてもよい味を醸し出している。この文章のようなインタビューのようなものはおそらく存在しないのでは。それらは茶人として理解できる人が理解すれば良いのであって。そういう意味で、一般の人向けの即中の書物は、際立って美しいと考えられる。

このことはバーゼルで学んだデザイン教育とよく似ている。師と弟子の関係。おそらく禅の僧侶も同じなのではないだろうか。

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