家原清蔵宛

江戸後期の茶人、光悦「障子」や利休「雀香合」所持で有名。江岑好木地丸香合(了々斎在判)はうちでは珍しく由緒がはっきりしている。同時に所有者宛の書付(色紙)とが当時の遠忌のままの姿で残っている。
二代 家原政熈 凞?享保10年–安永5年[1725–1776]、元文4年15歳で初習学、大坂が初勤務地。
ちょっと、備忘録。三井の再統合「寛政一致」に関わる家系。18世紀半ば頃から同族の借財増加や同族間の不和で三井内部に不協和音広がるようになっていた。①呉服部門を北・新町・家原・長井の四家②両替部門を伊皿子・室町・南・小石川の四家③松坂店は小野田・松坂・永坂町の三家、安永3(1774)年三井十一家で事業を分割となり、「安永の持分」と呼ぶ分裂状態に突入し、寛政9(1797)年ようやく再統合にいたる。「店頭での心構え」には、部屋への茶道具の持込禁止がある。小道具屋の招き入れについては初回見習い時の示合に見られる箇条で、文化5年8月の五代政由の示合に見えるが、後年の示合には見られない。享和年間から文政年間にかけて同族の借財が問題になっている時期であり、習学中の散財を注意したものであろう。このように、三井同族らは初回習学時の示合は勤務中の心得があり、注意事項・禁止事項などを盛り込んだものであった。いずれも文化人としては高い素養を持った者への、絵画・和歌・茶道などにも造詣があったが戒めともいえる。

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