「もうひとつの谷中・上野散歩」「浅草戦跡マップ」

おふくろが買って、ながめていた。なかなか、企画がよく、未だに戦争の爪痕が下町には残っていることがわかる。当時を知っている世代が減っていく。しかし事物の証拠はまだまだ調べ尽くされていないと思う。おやじと散歩した思い出が蘇る。このマップのできがもう少しよかったら、いつも持って歩きたいのだけど。
そういえば、谷根千も終刊というようなことも聞きました。
http://www.yanesen.net/

平成20年度 女子美術大学退職教員記念展

前学長 立石雅夫先生から御案内をいただきました。
今朝、母と伺ってきました。共通工芸棟はおやじも力を注いだもので、なつかしく眺めていました。晩年は喘息がひどく、よくここでがんばっていたなって、ふたりで思っていました。
久しぶりの立石さんの絵に感動いたしました。遠い昔、ぼくが担当で、サイエンスの表紙のためにハチを描いていただいて、それが「いろいろ」のショーケースに展示されていました。
4年生のとき描いた「ゾウのはなはなぜ長い」という紙芝居がフレッシュで心に残りました。
会場 : 女子美アートミュージアム
会期 : 2008年9月17日(水)〜10月26日(日)

元空童子

秋のお彼岸...やっとわかってきた.小さくて古い位牌(戒名=元空童子)がある.明治31年8月26日に亡くなっている.他に何も記していない.戦前の位牌はひとつだけ...これだけ焼けずによく残っている.どうして?空襲で家は全部焼けてしまったはず.おじいちゃんがもって逃げたのか.
おそらく,おじいちゃん小泉鎌次郎の兄(長男).幼くして亡くなったのだろう.

6月30日,今年の半分

今日は父,元治の命日.
ちょうど10年.
Baccarat展の仕事をやっていた真っ最中,
デザ現の連載も執筆中でした.
ものすごく暑い日でした.
10年経ってしまいました...
週末は父が好きだった長野の山で偲んだ.

『シリーズ激動の昭和3月10日東京大空襲 語られなかった33枚の真実』

やっと撮っておいたVTRを見ることができた。生前、おやじと行った慰霊堂を思い出した。ぼくにとっては何をおいても戦没者へ慰めはここだと思っている。その晩、全く戦争に関係のない人たちが計算通り多く殺された。当然だがこの大空襲でおやじも亡くなっていれば、ぼくはこの世にいない。今から思うと奇跡だったと思う。
石川光陽の写真を今見て、おやじと語り合いたい。せめて当時の手記でも残していてくれたら。。。言問橋の惨劇は何度も何度も聞いていたが、
驚くべきデータ
041065 日本橋小網町
055102 西浅草かっぱ橋
066086 本所三丁目
067064 白河四丁目
この4点を結んだエリアがターゲットだった。
クラスター焼夷弾で絨毯爆撃された。どんな理由があろうと許されることではない。
http://www.tbs.co.jp/program/dramasp_20080310.html

京呉服 二

ここのとこ、単衣の黒の御召と本麻の蚊絣の越後上布がお気に入り。家ではどっちかをヒョイっと着ています。腰というか下腹あたりが角帯でグッと締って、これって、なかなか精神がひとつに決まりやすいことに気がつきました。仕事がはかどります。
そして、やっぱり、自然の繊維は(けっこう古いけど)からだに馴染むなぁ。
20080502-紗黒無地お召し.jpg

広中外科

病院に通ってるせいか、昔の強烈な夢を見る。そういえば、ぼくの利き腕は全くヤバかった事故をしている。ひじの肉がすっ飛んだ、神経までいっていたら。。。化膿していきそうだった。
日暮里に広中外科という名医がいた。おそらく軍医だったのだろう。ぼくの腕を救ってから、まもなく、おそらくマラリアで亡くなった。開業医なのに突然休業になる。発熱のためだ。そのように先生が言っていた覚えがある。記憶では顔におおきなやけどの痕があったような。。。
手術で救ってくれた。病院は先生一人だけ(ときどきおばあさんが?)、玄関を入るとわずかに自然光が入るだけのダダッ広い暗い部屋、ヌーっとお化けのように出てくる。マスクをしていて口数が少ない。奥に消毒に使う洗面器と手術台。。。シンプルだった。
ぼくは先生が好きだった。
追伸:無理して右肩をちょっとやってしまった...まだ夕方になるとちょっと重いけど...利き腕はたいせつです!