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なんだか騒がしいというか、なくなってまだ一年も経たないうちに。周りをよく見ていれば、ポスト不在でいい。なんか死ぬのを待っていたみたいで、ほんと嫌だ。少しは喪に服すというか、大人しくしていたらどうなんでしょうか。

invisible

Facebookの「掲示板の法語」というグループが気になっていて、いつも気にしている。
「ボクは目が見えなくていいんだけど
もし一瞬だけでも目が見えるなら
お母さんの顔が見てみたい 辻井伸行」
宗教を超えた何気ない言葉が心を打つ。デザインとは一見関係ないようだが、とても関係している。つまり表現だけではないということ。
よく遠い過日を思い出す。今朝は鎌倉の伊藤正道氏の家と庭を思い出した。彼のお母さんとよく話をした。お会いした頃は、眼が見えなくなる前、その頃から長い間、年に何度も。晩年はほとんど失明されていた。話していると、ぼくが若かった頃の顔を思い浮かべて、お話しされていると言っておられた。彼女の脳裏のぼくは永遠に歳をとらないのです。彼女はかなり庭の草花の世話をしていた。畑仕事もこなす。どのようにされていたのだろうか。
今、ぼくも母と取り戻した庭の世話を毎朝している(雨天中止)。母は全ての植物を丁寧に観察し、話しかけてさわっている。ぼくはその間待合の椅子に座って、そのような様子を眺めてボ〜っとしている。一日のうちでとっても重要なひととき。
庭を見てボ〜っとすることは、実は坂本さんから教わった。2007年の夏至の日、NYのあの家の庭を二人で日長に眺めて、ビールを飲んで、気ままな話をしていたことを思い出す。人生でとても大切なことを教わった。

追記: 家事をしている最中はMacBook(CD)を鳴らしているのだが、4月3日から昨日まで坂本さんしか聴かなかった。合掌。今日から普通に。

量水器

古い鋳物の量水器(水道メーター)のケースを手に入れた。/Studioの入り口に埋め込もうと計画している。東京都水道局ので、戦後すぐのものかと。ぼくが子供の頃、ちょうど音無川のほとり一本橋の近くに住んでいた渡部さんの家のものです。とてもいいおじさんでした。すでに跡形もなく、空き地に、そしておそらくマンションに。

尾形流略印譜

名が知れた相見香雨の蔵書印で裏写りがない。不明な窪田處心の蔵書印と奥付に署名と出版社印。本文用和紙違うものが存在するのか?
https://dl.ndl.go.jp/pid/849825

https://da.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/portal/assets/eea458ad-19a9-00ab-432d-cd8d1dcd5904
https://da.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/portal/assets/5503c4bf-7b20-750d-6d73-1d75f5ab2712

江戸の花屋敷

百花園学入門 : 向島百花園創設200周年記念の刊行物。このような本があったのか。昨日2019年秋以来、母と訪れた。すばらしいの一言。うちにとってとても有意義な場所。今年は牧野ブームだけど、こちらもw

完璧な演奏マシンから最後にヒトになった坂本龍一

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/74715

表題が気になって、拝見した。息を呑むほど熱く語っていて、素晴らしいなっと。流石坂本さんが座右に置かれていた方、、、

その後少しづつ見えてきたことがあって、亡くなって今このクリップにちなんで。まだまだ亡くなったことに実感がないけど、ちょっとメモを。果たして「Behind the Maskは空っぽ」「ただ演奏していた」なのだろうか。要はなんでもできる。流派はない。でもぼくはいるよ、顔はない。ということでポストモダンの間でマシンのような音楽活動をされていたということなのだろうか。ぼくは評論家ではないのだが、一言いえるとしたら、そこにこそ「Ryuichi Sakamoto」が存在することを追求してきたのではないかと思っている。手がけたものに必ず足跡を残す。最晩年は、自然の音(音楽を超えた領域)にまで、自分を潜り込ませようとしたのではないのかと。病気でも、そこまで欲があった。(坂本さん、そこまでしなくても、、、っと言いたいぐらい)。したがって私論は「Behind the Maskは全てご自分の顔」=仮面を捲ると全てサカモト。理解しやすい証拠は、沖縄古謡にあのように自分を持ち込んだ人はかつていなかった(有名な話でお父さんは生前「お前の音楽じゃない」と言ったそうですが、今聴いてみると「安里屋ユンタ」にあのように違う音楽が縦横無尽に入り込んでて、原曲では想像できない厚みになっている =Additionが大好き**。あれこそ彼にとっての”Beauty”なんだと思う)。他の人では絶対にできない。当時はあれに(なんじゃコレって)惹かれた!POST MODERNか、ワインガルトのタイポグラフィも同じく(こちらはどのように伝えたらよいのかを模索中)。
おまけ、なぜか手放せない「星になった少年」のサントラCD。これは「戦メリ」の続編のような感じですね。ぼくはこっちが好きで久しぶりに聴いた。いまだに戦メリのテーマが好きになれなくて(わかりやすく、わかりやすくしすぎ=坂本さんの優しさなのか*)。常にこのようなことを自分の中でやっている人。これは他人が絶対に継承できない。流派にはならない。そういう意味でぼくは理解できない孤独(ひとりっ子)のアートな部分。鬼才を生み出す一つの理由なのでしょう。永遠に普通のヒトにはならないと思います(もちろんマシンではないということ)。

坂本さんの死はじわじわきます。いつも元気よく先を走っていて、興味深いものを見せてくれる。追いつくわけはないのに、追いかける。いや、先にこちらができなくなりましたが。
*/04のがベスト。ゆっくりしたりとかやっぱり音はあったほうが。普通のままがよい。余談、坂本さんは宗教的儀式クリスマスは嫌いだったはず、なのに何故最後まで弾き続けたのか。**元い、すでにもっとすごいのをNEOGEO(坂本さんの頭の中の新しい地球地図)でやってた。ケチャまで入れちゃってw =Reductionとは正反対、、、

雑草

きみ、世の中に「雑草」という草は無い。どんな草にだって、ちゃんと名前がついている。わたしは雑木林(ぞうきばやし)という言葉がキライだ。松、杉、楢(なら)、楓(かえで)、櫟(くぬぎ)——みんなそれぞれ固有名詞が付いている。それを世の多くのひとびとが「雑草」だの「雑木林」だのと無神経な呼び方をする。もしきみが、「雑兵」と呼ばれたら、いい気がするか。人間にはそれぞれ固有の姓名がちゃんとあるはず。ひとを呼ぶばあいには、正しくフルネームできちんと呼んであげるのが礼儀というものじゃないかね
木村久邇典『周五郎に生き方を学ぶ』実業之日本社
2022年8月、練馬区立牧野記念庭園記念館の田中純子学芸員らの調査の結果、出典が見つかったと高知新聞が報じた。

確か、坂本さんも「雑草」について、語っていましたが、どこかにいってしまった。

大反省1

30代に夢中でやっていた長岡にバーゼルのようなデザイン学校をつくるという無謀な考え。

今おもうと全くあり得ないこと、若いとはそういうもの。地形、文化や歴史を熟知しても、住むとは違うということ。理論や仮想ではない。ワインガルトがよく言っていたreality。ぼく一人が何かやってできるようなことではなかった。今という時代をみて、あの時辞めてよかった。