武島羽衣 秋草

いろいろに なく秋の夜の 虫の音を 色にいたせる 野べの八千草

「春のうららの隅田川…」、瀧廉太郎の歌曲「花」の作詞者の秋の詩。いろいろな逸話があって、華やかな人だが、筆はわりと好み。一行軸で幅がなんと16cm、細長い。とてもモダン。ちょっと教育者の軸とは思えない。

扇面画題

抱一筆「扇面雑画」

1 白梅 
2 桜 
3 桃 
4 柳 
5 早蕨 
6 蕨と蒲公英 
7 菜の花に蝶 
8 桜草 
9 藤 
10 鉄線 
11 水草に水黽 
12 沢瀉 
13 河骨と太蘭 
14 布袋葵 
15 枇杷 
16 蘭 
17 酸漿 
18 露草 
19 撫子 
20 山帰来 
21 芒と嫁菜 
22 萩 
23 烏瓜 
24 柿 
25 吹寄 
26 雪中藪柑子 
27 若松と藪柑子 
28 譲葉 
29 水仙 
30 墨竹 

31 瓜に飛蝗 
32 生姜 
33 茄子に蟋蟀 
34 結び椎茸 
35 豆と藁苞 
36 大根に河豚 
37 瓜草に雲雀 
38 鷭 
39 稲穂に雀 
40 枯蓮に白鷺 
41 蝶と猫 
42 鹿 
43 目高 
44 蝸牛 

45 藁屋根に夕顔 
46 浜松 
47 蓬莱山 
48 秋景山水 
49 田園風景 
50 雨中山水 
51 破墨山水 
52 社頭風景   

53 五万米と水引 
54 鶯笛と若菜 
55 盆栽 
56 稗蒔 
57 玩具 
58 五徳と羽根箒 
59 籠に雪紅葉 
60 布袋

其一筆「十二ヶ月図扇」

1月 若松福寿草 
2月 彼岸桜 
3月 曲水 
4月 難波薔薇 
5月 鍾馗 
6月 凌霄顆
7月 花扇 
8月 月宮殿 
9月 菊慈童 
10月 桜花帰り咲 
11月 雪中鴉 
12月 追儺式

残念、いずれにも黄蜀葵はない。 

Buch 1 – Kapitel 25

Lao Tse – Das Tao te King

Des Menschen Richtmass ist die Erde.
Der Erde Richtmass aber ist der Himmel.
Und des Himmels Richtmass – Tao.
Tao hat sich selbst zum Vorbild.

老子:道経 象元第二十五

人法地、地法天、天法道、道法自然。

千蔭自畫賛

吾家はとばりをも
かけたる桟、、、

帳の向こうで唐楽の伴奏を聴いている公家が、なんと六筆で(まるで かな書のように)描かれている。ミニマルなこの表現はまさしく「この画もとより小品なりといえども、その書画の妙を共にうかがうを得べし」。代表される書画は『日本美術畫報』に載っていて、これらととても似ている軽快な筆の墨画。

第5編巻之1(1898.8.5)
安部仲麿畫一幅
竹原雄之助蔵

第18編巻之5(1905.12.5)
松之自畫讃一幅
林賢徳蔵

弘法大師の書の流れを汲む国学者の加藤千蔭(かとう ちかげ)筆。橘千蔭とも名乗った、和様書道「千蔭流」の祖。かな書に優れ、樋口一葉はこの書風。交流が深い抱一との合作や賛がある。東洲斎写楽とは隣人、一説には本人とも。

東都名家寄合書畫

おもしろい画賛し合った絹本のお軸。みんなこの近所根岸や千住の有名人。でも、どこの誰かが九名集まって、酒でも飲んで、作家の筆を真似しあって、さっと寄せ書きしたのかな? とても楽しいので、これ一幅で「花寄せ」の見立てにどうかなぁw

音無川(おとなしがわ)

石神井用水は、石神井川の水を王子神社と南の飛鳥山の間でせき止め(王子石堰=明暦2年 1656年 築造)東へ流した用水。別名、音無川(王子川)という。
流路:東京都北区王子から田端、西日暮里、日暮里の現在のJR線に沿って流れ、日暮里駅前から、荒川区と台東区の区界を形作っている。三ノ輪まできたところで流れがいくつかに分かれ、北東方向には石浜川として、南東方向の流れは思川として明治通りに沿い泪橋を抜け白鬚橋付近で隅田川に注ぎ、もうひとつは日本堤沿いに山谷堀に通じた。明治時代の正式名称は北側に分水される根村用水・上郷用水に比して下郷用水と呼ばれ、下郷18カ村で石神井川下用水組合を結成し、農業用水として管理されていたが、宅地化にともない昭和のはじめまでに管理組合は廃止された。江戸期には蛍も飛び交ったといわれたが、次第に汚れ、現在はすべて暗渠化されて下水道となっている。
日暮里駅前の消防署「荒川消防署 音無川出張所」に名が残っている。(Wikiより)

臣僧抱一

偶然だったが、とてもおもしろい落款。一本の細い線でなく薄墨を使って外隅(そとくま)で富士山を描いている。それは一息で富士講の象徴ともいえるはっきりと不規則に三峰形にして、周りの暈しと彩色との滲みによって微妙な立体感を生み出している。それにしても西村南岳の極メということは、やはり上野に関係しているのだろうか、、、うちから500mのところに住んでいた謎の絵師。江戸琳派が集っていた音無川ほとりを想像してしまう。大概の茶掛富士画賛の輪郭一筆は実につまらない。誰がはじめたのだろうか、、、やはり、この抱一のモヤモヤはワインガルトのそれに似ている。

厚労省:新型コロナウイルスを想定した「新しい生活様式」を公表しました?

5月4日に、新型コロナウイルス感染症専門家会議からの提言を踏まえ、新型コロナウイルスを想定した「新しい生活様式」を具体的にイメージいただけるよう、今後、日常生活の中で取り入れていただきたい実践例をお示しされました。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000121431_newlifestyle.html

茶道に直接関係ある事項:
– 人との距離*は、できるだけ2m(最低1m)空ける?
– 屋内より屋外を選ぶ。=野点を優先する。
– 会話をする際は。可能な限り真正面を避ける。=ある種の小間はNG。
– 症状がなくてもマスクを着用。=宗匠の献茶のように、普段の点前も亭主はつけ、客はいちいち外しながら?
– =客が帰ってから手は洗うが、水屋で顔は洗わない。着替えとシャワーも茶事ではすぐには?
– =水屋に石鹸? 手指消毒液の設置。作法に加えるのか?
– =会記に参加者の名を明記?
– =茶室の換気。
– =稽古及び茶会の前の体温測定、健康チェック(発熱や風邪の症状)。

と、いろいろあるが、まずは*Social Distancing Communication Platformでしょうか。このことにより距離的な、亭主と客の関係、客と客の関係、が完全に壊れます。例えば、正客が躙口を開け、茶室を見た瞬間に入ってからの行動を瞬時に判断構築するわけですが、それがくるう。つまり次客以降の行動はすべて、今までのようにできず、おかしくなる。どうするのでしょうか? そして、男同士客の濃茶のいただき方、完全にNGとなります。

など、この御布令が出てから、頻繁に、先生とメッセージでやり取りをしているのですが、多難すぎる。仮にすべての対策が今出来上がっていたとしても、その新しい作法をどのように全国の茶道の指導者たちに伝え、普及させるのでしょうか。気の遠くなる話です。というのも、茶の湯はそのように守られてきたもので、道具ひとつ扱う様 (おくこと、もつことなど)そしてその流れがひとつに統一されてきた。つまり、各々独自の判断による作法を禁じてきたからです。これが、ひょっとすると近未来こわれる恐れが出てきました。つまり、華道のように(タレントみたいな茶道家が登場するかも)なってしまう。断腸の思いです。

追記1. 濃茶を一人一人に点てる(練る)なんてこと、TVで発言した輩がいたらしいが、とんでもない。そんな重要なことを個人が勝手に決めて行っても良いのか。ありえない。
追記2. 茶道では、各道具には最小限の触れと動作、扱いも細やかであり、COVID-19対策には応用できることもある。