高磁水盤

直接の茶道具ではないけど、七官青磁八卦文三脚鉢(おそらく比較的新しい天龍寺手)が手に入った。初めての唐物、もちろん茶会の石菖盆に使う。ふつう底の釉薬がのっていない土色の部分はもっと荒く古っぽく汚いのですが、前の持ち主がおそらく神経質に洗った結果ではないかとのこと、なのでぼくのはすっきりとてもキレイ。普通は詫好みなのだが、全く正しい!石菖は清らかなもの、水を張っておくわけですし。憧れの康成所持の北宋汝窯の透き通る緑とは全く違うが、清時代のを用の美としたのはいいのだろう、とにかく普段使い!この出は京都の茶人のようで、先日の翠巌石菖のお軸と同じ所有者の子孫から譲り受けた。残念なのはこれらの由緒を正確にお聞きしたかったこと。

これからの春に向け、育てている石菖蒲を株分けして、炭に植える。楽しみ楽しみ。それにしても何者なのだろうか。未だ詳細はわからない謎である。

麒麟がくる 茶の湯編(仮題)

本編では、もの足らなすぎ。なのでぜひ特別番組を作ってほしい。今日のは茶の湯のことが一切なかった、、、前回の十兵衛のセリフが興味深かったので、あえて:

「名物は持つものに覚悟がいると聞き及びました。

如何なる折にも誇りを失わぬ者

志高き者

心美しき者であるべきと、、、

美しく飾るだけでは、人はついてこない。」

それにしても、松永久秀の平蜘蛛の解釈は劇的すぎw この釜の行方は諸説ある。有名すぎる俗説で「釜と一緒に日本史上初の爆死」という誤り、後世に戦国武将と茶道具の関わりを賞賛した謂れ。史料には、

吉田兼見の『兼見卿記』、久秀・久通父子は切腹し、信貴山城に放火したとされている。その後、首は信長のいる安土城に送られた説。平蜘蛛については書いていない。

太田牛一の『大かうさまくんきのうち』、久秀・久通父子の首は信貴山城の天守に火を掛け、平蜘蛛を打ち砕くとそのまま焼死したとある。自らの手で平蜘蛛を破壊したという説。

田中吉政に仕えた川角三郎右衛門の聞書『川角太閤記』、久秀の首と平蜘蛛が鉄砲の火薬で木っ端みじんに砕かれた説。

これらの説をもとに、後世の史家や作家によって近松などのように劇場的におもしろく膨らましたのだろう。逸話にはよくあること。今回のは信長が今井宗久に売るって、一万貫すごいな~~NHK。以前の放送でみせてくれたけど、宗久の点前(柄杓の扱い)がなんと下手なことww  おもしろいので、この調子でこの頃の茶人達の話だけでやってほしい。ほかの名物のことも含め(光秀所持の「八重桜」という壺のこともあるし)。とにかくこの時代の茶の湯のことを想像すると楽しい。

危険

昨日、今年一番遠くへ出かけた(近所とお茶の稽古と印刷屋ぐらいにしか出向かなかった)。多摩方面の某大学の訳者の先生の研究室へ。来年発刊する本のため、実物を前にプレゼンする重要な打ち合わせ。

19:00ごろ、帰りに新宿ゆきの特急に乗ったら、驚いた。密。若者が多い。顎マスクで大声で話している。終わったっと思った。あの中に感染者がいたら何人かは確実に感染する。ぼくにかもしれない。小池百合子は第二の緊急事態宣言を発令して、外出禁止にすべきだと思う。年末年始はとても危険。

使用済みカプセルのリサイクル

https://www.nespresso.com/jp/ja/coffee-recycling?utm_source=Email&utm_medium=EM&utm_campaign=Recycling&utm_cd62=B2C&utm_cd63=INT&utm_cd65=Launch&utm_cd66=Brand&utm_cd67=All&utm_cd70=20200729_Recycling&utm_id=bfeff7c0-9a68-4ca1-89fb-3c21fc23fcda

日本でもようやく始めたのか。スイスでは初めから、ぼくが住んでいた頃からだから30年ぐらい前ですね。