令和4年10月号 同門

pp.14, 15からの抜粋

お茶の味:古田織部⇄浅野幸長

一、うす茶はいかにもそそう(粗相=利休好み)に、

武者小路(有隣斎)
作意のないさらりとしたおどろくくらい手ばやく点てる
茶の気が失せぬ工夫


雲がすぐ消えるように脚が速い=雲脚茶(うんぎゃくちゃ)
泡を一面にたてない
粗相の茶の趣

一、こい茶の時は、柄杓に湯一はいよし、すくなきは悪く候、

宗旦の濃茶はゆるかった。
右手で茶を練り、左手は茶碗に添えなかった

織部から濃くなった。湯を注ぐことを一度で済ませた
茶の量と湯の量は決まっているので(計りやすい)

借金満額返済

マスク・パッチン事件からちょうど一ヶ月。とうとう借金がなくなった。とても気が楽になった。
あとは二つの倉庫。まだ残っている大量の書籍と我社の刊行物。既にレコードとCDの断捨離は終わっている。もう少しでまた気が楽になる。
今日は逢源三百五十遠諱追薦、お軸を出して、供茶。

ps. 断捨離といえば、ついに名刺に手をつけた。おそらく一万枚以上あった。今までいただいた名刺一枚も捨てたことがなかった。が、とうとうarchivに収納するものと、情報としてkeepするものだけとなった。

宗鑑書「初祖菩薩達磨大師」

近江国栗太郡志那村に生まれ、志那弥三郎範重といい、幼少時より室町幕府足利義尚に仕え(祐筆とも)、一休禅師とも親しく、能書家として知られている。書風は尊円流の素眼である尭孝の流れを汲み、時に粗略と思われるほど荒削りで自由奔放な筆運びで後に「宗鑑流」と認められる書体系を確立した。筆耕や油筒売りを生活の糧としていたと伝わる。義尚が鈎の陣で没し、後世の無常を感じ出家した(1489年)。その後山崎に「對月庵」を結び、山崎宗鑑と呼ばれた。[wikiより]
初祖は号で、達磨禅師のこと。肖像画や略姿の掛軸が多いが、江戸初期の茶会記の多くは書。なぜか菩薩を略した黄檗の僧の六字一行が多い。

茶杓 淀川と雨請

良休宗佐作茶杓「淀川」は、即中斎が自作の基本とした茶杓である。如心斎は、千家から離れていたこの茶杓を手に入れ、与太郎(啐啄斎)三歳の時に、如心斎の替筒も添えられ、箱の蓋裏に「随流宗佐紀州ヘ下向之節、淀川舟中ニテノ作ナリ、与太郎ヘ」と記している。了々斎も三十八歳の時、吸江斎が七歳で久田家から養子に来た記念に「淀川」を贈っていいる。その吸江斎もまた碌々斎にそれを譲理、その時に「淀川写し」も添えたということになっている。このように家伝を代々譲るという記録が。基本、これこそ流派の源。表千家同門なら「淀川」を拝見しておきたい。逆理のような「雨請」と並べてみたい。

出典:特別展「200年遠忌記念 啐啄斎ゆかりの茶道具展」2008
https://www.kitayamakaikan.jp/test/exhibition/past/2005/special20080426_item03.html
出典:金沢市立中村記念美術館、替筒が随流斎作で、「雨請」と似ている。
https://www.kanazawa-museum.jp/nakamura/collection/collection_6.html

「雨請」もちろん二重箱で入念に帛紗で覆って。前の所持者の方はとても大切にされていたことがわかる。

千里同風

出典『景徳傳燈録』。遥か彼方まで同じ風が吹くの意から、よく治まった世の中、乱れた世の中、というようにその全体の同様を表す。仏教で風とは教えであり、時空を超えてどこにいようともかわらないという意。おそらく1950年庚寅に扇面に記されたものを(秋田の?)所有の方が個人的に表装されたよう。なので共箱なし。即中斎の十八番の禅語? しかしあまりお軸現物は見かけたことがない。どうしてなんだろう? 「千」の書き方は2種類あり。1937年36歳で家元を継ぎ、1949年財団法人不審庵を設立。その頃の書、花押の上に「不審」とある。
容易に目にできるものとしては、1975年、法人設立記念大会記録集は記念茶会および講演会を収録した『千里』と茶の湯美術展の大要を収録した『同風』という刊行物。その書籍セットの帙の題箋の書よりも若々しい。とてもいい。白紙の手紙を思わせる。
おそらく扇の骨数は五間。蝙蝠(かわほり)左右の寸法がうまく合わないことから、左右を切り取ってバランスよく配した感がある。風、すなわち扇面に最適と言える。

供茶

本日は自服に加えて。先週の金曜日、福田毅氏亡くなられたそうです。ご冥福をお祈りします。彼が長岡に来られなかったら、ぼくは辞めることはできなった。感謝いたしております。合掌。

NHK 歴史探偵 茶人・千利休

初回放送日: 2022年9月7日

石田三成の関わりは、相当深いテーマです。
このように結論付けるのは、いささか軽い。さて、

付け足しのテーマ:「茶わんの科学調査」赤外線サーモグラフィーで温度変化について、

  • 樂家二代・常慶作の黒樂茶碗=プライスレス
  • 天目茶碗(元-明時代)
  • 珠光青磁茶碗(明時代)
    いづれもこのように並べるじたい、茶碗に、過去の所持者に、失礼。
    そういう由緒の茶碗。単に自分のwを見せびらかすコーナーに成り下がった。

番組では、80度、70cc(お茶を点てるのと同じ温度と量)の湯を二人が同時に注ぐ。安定の樂、「樂茶碗は、熱しにくく冷めにくい性質を持つことがわかりました。」だって。当たり前。おそらく武者小路ですから、実際はこのように本物の茶碗にいきなり80度のお湯を入れたわけはなく、その前に、、、しかし、あれは誤解を生む。
あの三つの素材の熱伝導率はあの実験をやらなくても明らか。それを見せたいのであれば、小学校の理科の実験でもこのようにはやらない? あの茶碗でなくてもよい。番組中にどのように放映されるかは、事前にVで見ているだろうに、宗屋って馬鹿だな。なぜ利休が樂に茶碗を作らせたかとは違うでしょ。これでも家元後嗣か?笑

利休のリアリティの凄さは、科学調査をベースにそれ以上のことであると
もっとリアルな実験をして欲しかった。あの限定された茶碗でやるのであったら、ただ湯を入れるだけでなく

  • 茶碗の中と茶碗の外の温度の変化、手で持つまでの変化
  • あの茶碗で、薄茶と濃茶の点前中、各客が口にするまでの変化
  • 正客と末客の違い
  • 室温との関係
  • 銘柄の違いなどなど、どれか一つの実験で、

明らかに当時の茶の湯が(温度や人の感覚に対して)意味深かったかを全く知らない人に分かりやすく。できないのであれば、断る。であろう。結論=売名。

参考:「液体の構造と溶解」など
京都帝国大学理学部卒、堀内宗心宗匠
過去にきちんとやる人はやっている。不用意に茶碗を見せびらかしたり、遊びで茶碗を使用しない。https://www.jstage.jst.go.jp/article/kagakukyouiku/34/3/34_KJ00003482275/_pdf

AERA 1930号

p.7のWeaponization「武器化」が日常用語化しないことを祈る:
同意見。辞書に載らないことを祈る。存在しなくてよい言葉。ある国が正統を主張し武器が欲しい武器が欲しいと言い出して、長引いて、多くの人が死んで、すべてを破壊し、、、武器を作っている国の経済が促進し世界を狂わす。平和の方向に誰かが向けていないと。