Le Pollen

このレコードは、ぼくの人生のかなりの心臓部です。
高校の時から、フランス映画に狂っていたし、全然ダメだったんだけど広尾に住んでいたフランス大使館の秘書の方に会話を習いに通っていたし、おじいちゃんのアールデコ展出品のことや、ボサノバは辺貞とかJobim周辺の名曲で日常的に耳馴染みだったし、1978年には生まれて初めての外国Parisに一人で行って、かぶれまくっていた(この頃吸ってたタバコは両切りのGauloises=ソニービルで買ってきてw)。当時は周りのみんなほとんどがアメリカに向いていだんだけど、違う視点のユキヒロ中心のこのレコードが、当時すごく刺激になって相まって、再び 1983年にパリ。ペイニョに会いに行ったのが、ぼくのスタートライン。とにかく、いい!このレコードは時々引っぱり出しては針を落としている。大好き、ちょっとでも出会えてよかった。ぼくにとってユキヒロは音楽人というより決め手を備えた文化人。(à Jean Cormier)なんかは至極+エミとロロw

https://www.discogs.com/ja/release/1993257-Pierre-Barouh-Le-Pollen

アンスティチュ・フランセの小冊子

『新しい暮らし方に目覚める–フランスの本を通して考えるエコロジー』がもうすぐ発行されます。小社のWH叢書『ボタニスト』を載せていただけました。とても光栄です!編集された在日フランス大使館アンスティチュ・フランセの西口由紀さんには多謝。
それにしても、用語というか「人新世」「持続可能な開発」「エコロジー」「気候変動」「環境保護」といったテーマで様々な視点で語ったフランスらしい読みたくなるような本がたくさん。まだ邦訳されていない本も多いのですが。…

残ったモノ、通り過ぎたモノ

…実は、やっと実家周辺のリノベーションが終わり、ようやく客人にお見せできるような施設に近づいてきました。活版やスイス・タイポグラフィはもちろん、この冊子にあるようなテーマ(うちのコレクションに関係あるもののみ)そしてこの近所の歴史的文化を感じられる場所になる予定です。アーカイブとは、なんでもかんでもの資料ではない。少なくても厳選して残ったモノ。
ここは図書館ではないし、個人のコレクターの足跡でもないので、読んで特に感じなかった本はその後すぐに手元から離れたし。おおおおにして、残っていたものは後日学生のためにとか、この本はいつか何かの役に立つ、、、といったような漠然としたモノ(著書の一般的な参考書も含め)。レコードも同じく。購入し直後に聞いて、二度と聞いていないものばかり。そのようなモノは今までの断捨離で全て消えた。通り過ぎたものはぼくにとって本質ではない(Reduction)。それを明らかにしておけば、実際のものが(例え複製や大量に作られたものであっても)生きてくる。
将来、ぼくと同じ思考のラインにのった人がいたら(つまり流派の手前)、はぐれないようにしてあげることができれば、人がここの情報を足掛かりに多様化できる。そのように構築したい。なかなか難しいが。

急遽献茶

今朝、訃報が飛び込んできました。aa.
高橋幸宏氏が永眠されました、悲し。大学時代夢中だったymoのお一人がいなくなってしまいました。Saravah!
彼のLPは全部持っていましたが、今は一枚もありません。(先日nfrで特集していましたが)オリジナル初発のCDとこのCDだけ。今日のお茶の自主稽古は当然、、、

「子ども」「障がい」

以下の漢字表記は好ましくない。
「児[どう]」
幼児の姿から作られた漢字。その年ごろが対象ではない子の場合には不適切な文字。
「[じ]童」
幼な子という意味。成り立ちは針で目の上を刺して(失明させ?)、重い棒で背負って。奴隷という意味。
「[こ]供」
成り立ちからそなえもののイメージが強い。差別的な表現ではないと主張しているが、膝をついて手で差し上げるというイメージ。
「[しょう]害」
漢字にすると、言葉の意味を的確に表していない。ネガティブなイメージが残るので漢字表記を勧めない。

余談:「障がい」のある「(子どもではないにしても大人ではない)学生」を「いじめ(しかも人前で自慢)」をした輩はどのような理由があろうとも、絶対にあってはならない許してはいけない事実、、、民生委員のDVDで研修中。

初釜会記

濃茶 卯昔 詰:一保堂茶舗
薄茶 式部の昔 詰:山政小山園
主菓子 寶ぶくろ 拾両・宝珠・小槌 鶴屋吉信
菓子 きれいどころ 伊勢源六たちばなや
菓子はいずれも縁起の良い頂き物。他道具は2021年と同じ。

new year 2023

実は昨年の作品は何もないので送ることはできないのですが、急遽頭の中にある露地のコンセプトを即興で組版して校正刷りにて、竹尾の「クリエイター100人からの年賀状」展 vol.18のために作成しました。なので途中の段階です。見本帖本店(淀屋橋と福岡でも、各々違うヴァージョン)で実物の展示を、どうぞお越しください。用紙は「ヴァンヌーボV ホワイト」を使用(ご覧のように過去のポスターを断裁して、銀一色乗せて刷ったもの)。
今年から、プライベートのご挨拶をしたためた年賀状は数枚、全て「書」で一枚一枚。人生初の挑戦が始まりました。超緊張しますw

昨年詳細を書きましたが、とうとうハガキ郵送の年賀状は化石に近くなってきました(得意先の代理店から年賀状廃止のお知らせがメールで)。グラフィックデザイナーによるそれは、単なる自己PRであり、極端な言い方をすると、不動産のチラシのようなもの。「音無川文庫」は昨年、当初お願いした大工が蓋を開けたらリフォーム屋で、大工の腕が悪く、ボンドで柱を止める始末w 途中で判明し5月一杯で引き取っていただいた。そのようなことがあり、和文活版のスタジオの整備が頓挫し、予定していた作業が遅れたため宇野はこの新たなスペースのディレクターとしてスタートすることができていません。
ぼくはこの印刷物にもあるように茶の湯と今までの解釈を重ね合わせ集大成としています。まだまだですが、ご期待ください。

大福茶

2023年、あけましておめでとうございます。
元日明けは夜咄のようにして、最後に自服を。七輪にて餅を焼き、雑煮を祝う。

道具は一部昨年のを差し替えました。
掛物 千里同風 即中斎筆 (反戦をこめて)
扇 千里同風 即中斎筆 (反戦をこめて)
茶杓 随流斎作「雨請」共筒(随流斎) 如心斎箱
茶碗 黒樂 紫野焼 銘:帰雁 鶴亭造 宙寶宗宇箱
蓋置 隅田川焼千切 7代白井半七造
床 七官青磁鉢、姫石菖 (写真は差し替える前:翠巌宗珉筆)
菓子 三ノ輪橋相州屋 栗蒸し羊羹

peter-lukas graf_backstage

この人のことを全く知らなかった!船田さんがこのオリジナルの本を貸してくださった、、、なかなか内容も興味深い。
それと、この本のすごいのは、スイス人の先生の口伝で、日本人の手記がオリジナル。あと、ドイツ語版しかこの世にない。日本語は横組❣️
かつてバーゼル音楽院で教えていたのですね。追って細かいことを載せますが、とりあえず、一つ:
「音楽家になろうとしている人にとっては、、、自分自身を表現するという、人間の素晴らしい可能性に喜びを持ち続けなさい!そして、もしもうまく音楽を職業とすることができたなら、そのことを常に特別な恩恵に浴していると心得なさい!」

When I’m Sixty Four(Take2)3:01

64歳になった。Paulの曲。確かにWhen I get older losing my hair…
Will you still need me, will you still feed me. When I’m sixty-four?Whoo!cha!cha!hey!ぼくの人生はこのようにはならなかった。なんとかここまできた。何度も命があぶないことがあったけど、上出来中の上出来、大満足。でも、いつの間にかぼくを作ってくれた人たちはもうほとんどいない。
故郷に帰ってきて、最近、よく思う。ぼくは何者なんだろう?まだこのような同じことをしている、いや、してきた。「なぜか」を突き詰めたい。バーゼルの流派の源流は底知れないし、茶の湯の稽古から、「正確に所作を身につける」に努めていると新しいことを知ることができる。同じ社中のおばちゃん達と一緒にその深さを感じることができる。それがたのしみ。