や〜〜、ビックリしました。
全く知らなかったんですが、都筑さんのブログにぼくのことが。。。なんと、はずかしい。(今、偶然知ったんです)
実は教室の近所に、気になるベーグル屋さんが最近引っ越してきて、ここのとこ、ず〜と入りたくても、ぼくの授業が早朝か夜なので、いつも入れなくって。先日、ちょっと準備中でドアが開いていたので、のぞいて、入れてもらったのが最初でした。。。すごくイイ店なんですよ! マルイチベーグル
http://www.maruichibagel.com/
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都筑さんとは、全く入れ違いで、メールでのやりとりのみ。うちは同じ学校なのですが、スイスの学校のように、先生のスタイルで、個性をだすという全く別のクラスなのですね。製本はぼくも興味があるんですが、最近巷でよく見るようなものやフランスっぽいルリユールと、彼女が目指しているものが全く違うので。
とにかく、モダンで、かっこいい製本です。そのセンスをつかむための基礎を磨く!家で自分で作れる!ということ。
製本クラスではおいしい紅茶とクッキーが出てくるようなんですが。。。ぼくは詳しく知りません。
学校の虫
そういえば、ぼくは学校の虫だった。(さっき阿部先生と桑沢の授業ことを電話で話していて、あらためて気がつきました)
中学、高校生のとき=電車がストで動かなくて授業が休講でも、自転車や歩き(たぶん1時間以上?)で目白台の学校までいった。授業のない自由な学校、たのしかった。
大学生のとき=朝からキャンパスへ。午前中は研究室でアルバイト。午後は授業(波動工学とか、全く理解できなかった難解なへんな先生の授業が不思議と好きだった)。夜は暗室で実習や実験。そのあと、バイトや映画やレコーディングスタジオとかに遊びにいって、家にちょっと帰えって、また学校。
専門学校の先生も27ではじめて。。。
バーゼルの学校=毎日が夢中で、早朝から夜まで学校。クラスメイトがみんなで旅行しても、ぼくは学校。
長岡の大学の先生=現地に住んでいた時は、ほとんど大学にいましたね〜〜〜。ほとんどの時間が授業や学生プロジェクトのこと。アパートは寝に帰るだけ。当時週末はセキュリティーがかかっちゃうので、校舎内に入れなかった。。。学校の近くの田んぼ、なつかしい。
その虫は。。。
又一 阿波ばん茶
http://shimizu83.blog46.fc2.com/blog-category-8.html
http://www4.ocn.ne.jp/~kouchan/awabantya.html
日本の発酵茶。かおり(めずらしい酸味がある、乳酸菌?)、、、雨の午後。
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そして、本屋をきままにプラプラ。
この本みつけました。これはイイ!
『茶花・山草 545種(ポケット版)』いつも持っていたい。
長野の山は、いまごろ茶花でいっぱいだろうなぁ。
茶花 其ノ十七
「京鹿子 (きょうかのこ)」
明日は夏至。
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「お茶の花は
下手でもいい
その人その人の
人間らしさが
出ているのが
本当の味わい」
本当の花人は
こうだと思います。
フルティガーさんがヨーロピアン・デザイン賞の殿堂入り
09.6.18 11:14 PM
小泉様
ご無沙汰してます。
フルティガーさんがヨーロピアン・デザイン賞の殿堂入り、というニュースがいま入ってきました!
その報せを受けた フルティガーさんのインタビュー動画 です。
http://www.swisslegacy.com/index.php/2009/06/17/adrian-frutiger-european-design-hall-of-fame-2009-video/
撮影場所は彼が今住んでいる老人ホームです。
小林 章
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小林さんから、うれしいお知らせが。。。
母子手帳
なぜか、資料を探していると、こういうものが出てくる。
なぜ、ぼくはここにいるのだろうか? 生きているのだから、がんばろう。今日はなんだか疲れた。

近所には、赤ちゃんがたくさんいます。きのうは散歩していた。。。おかあさんたち、がんばっていますね。
「なぜか”褒め合い族”」
昨日の日経夕刊。何か最近、多いみたいです。どういうことなのでしょうか?
反骨心喪失というより、
著名人同士が褒め合うこと、の問題を感じます。
こころから「人を褒める」ということは、いいことだと思いますが。。。
直ぐなる目線
世の中で鍛え抜かれた教え子からの、ひさしぶりのメールは何よりうれしい。
成長できると、もっとうれしい。
ぼくも、そういう経験ができたら。
これから、これから。。。また、可能性がでてくるはず。ひとりひとり、教え子には教え子の未来がある!!!
茶花 其ノ十六
「未央柳 (びょうやなぎ)」
「友禅菊」
掛物 「千里同風」 堀内兼中斎宗完 筆
『歩々清風』
ここ何ヶ月、時間があると、この本、を開いている。なんとなく、ほっとする。
これぞ、また書物。
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↓しびれる
自分で点前をしてみて感じることは、お茶の点前の中に、自分で自分を律するという修練の含まれているということであります。
自分の手足の動き、手足の位置など、一見たいしたことではないはずであります。しかし、これを自分で意識する間に、自分に対する見方が変わってくるのであります。これは禅宗の修行のなかでもまた大切なことであります。坐禅は、生理的に精神的体調を調えるうえに非常に有効な手段でありますが、お茶の点前は、自分の身体の隅々までを意識して制御している間に、ひょっとして、自己解脱につながる契機ともなるのであります。…(略)…これはお弟子だけではなしに、師匠自身にも大切なことであります。(本文「お茶を教えるということ」より)