三ノ輪

不思議な場所、いつも交差点で方向音痴になる。なぜだろう、、、母とお決まりを巡り廻る。荒川区と台東区の堺が入り組んでいて楽しい道。愛子さんもジョイフルは昔馴染みのとこらしい。「鳥富士」をご存知なのには驚いた!鮭カマは正月を迎えるには絶対必要となった。

HAPPYEND

昨日、ポスターを頂いた。実は今年5月、映画館で久しぶりに映画を観た!それもご招待を頂いて、なんと懐かしい早稲田松竹のレイトショー。席は驚いたことに監督と撮影の間に挟まって。新鮮な映画だった。 ‘The Chicken’という短編はリズムがものすごくって、鳥肌もの。
Lithoで擦られたもの、、、ん〜すごい。

茶カフキノ記 汾陽邸於(辛卯1951)

執筆は即中斎、兼中斎(宗心)が箱書きをしている。新しい箱か。表装はウブ。とにかく時代が違う。皆中者が二代にわたって所持していたのか?謎。驚くべき点はこの「お記録」に家元の花押が書かれていることだ。初めて見た。

科栄 一
富子
宗久
千真子 一
富沙子
とめ 一
光子 全
たか代 一
タカ
龍子 一

ほぼ女性。やはり10名か。たった一人が当てている。この方が堀内家の社中に関係しているのだろうか。この年は全く不明。3月17日に行われている。即中斎50歳、最も活躍している頃。
AIによると、「汾陽邸茶室見学会」というイベントの存在が確認されている。亭主はおそらく、惺斎の次女(即中斎の姉)で陽影会の創始者、茶道家 汾陽正子(かわみなみまさこ)の関連する特別な催しとして行われたのか?作家というよりは、菅田健三、数江教一をはじめ多くの茶に関わる文化人としての後進を育てた。自身は陶芸の茶道具や書、日本画そして鎌倉彫や竹細工など多才、今年10月に新宿柿傳にて懐古個展があったもよう。

『US-Atlas Weingart Project』新刊登録

版元ドットコムで先ほど公開しました。今回もAmazonのPODだけです!本書『US-Atlas Weingart Project』は、2025年12月25日に配信がスケジュール設定されています。この日の午前0時(協定世界時(UTC))に、本の詳細ページが読者に表示され、販売区域での権利があるすべてのAmazonで購入できるようになります。
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784909178060

ようやく、ワインガルト先生と生前に交わした約束をひとつ果たせました(67歳誕生日に発売)。まだまだ、この道の続きをしなければ… とても残念なことに、先生関係の画像の掲載許可をいただきお世話になりました奥様のKateが、この12月11日にお亡くなりになってしまいました。ご冥福をお祈りいたします。

版元ドットコム、Amazonなどの情報の邦訳を、以下に載せます。
内容紹介:
このプロジェクトは、1990年から1991年にかけてバーゼル・デザイン学校アドヴァンスド・クラスで行われたプログラムです。ウォルフガング・ワインガルトのタイポグラフィ・プロジェクトの一環として、この年はリチャード・ソール・ワーマン著『US-Atlas』の表紙リデザインを課題としていました。本書には、当時日本人初の学生であった小泉の白黒作品がすべて収録されています。スケッチは制作順に並べられており、当時保存したファイルのままで整理されていません。
著者紹介:
小泉均 (Hitoshi Koizumi)
1958年生まれ。スイス・バーゼルのデザイン学校(Schule für Gestaltung)で学ぶ。2007年にTypeShop_gを設立。2020年からはインディーズ出版社を立ち上げ、自身の哲学に基づき、日本のみならず幅広い分野の書籍の出版を予定している。/Studioにはスイス式と日本の手組活版とに分けた施設と平台校正機を備えている。現在は東京・日暮里の自宅で茶道を教えている。
「forewordにかえて」の訳文は、2026年賀状に。

追伸:
国内では、スイス・タイポグラフィを壊したパンクとして悪名高きワインガルトの情報を発表することもないでしょうから、本書は海外向けとしました。従って、特に日本語で宣伝や販促はいたしません。
また、内外問わず、TypeShop_gにいらっしゃるゲストのためのガイドブックの一冊です。スケッチ実物はセロテープの劣化で、この本の画像のように見ることができませんので、貴重な復元の仕上がりです。細かい作業は長岡の矢尾板和宣氏にお願いしました。そして、やはり書店で売ることを目的としていない本です。主にぼくの話を聞くための種となる本で、書籍単独では未完成品です。ご了承ください。

Michael Renner’s ceramics

なんと、夫妻ではるばるBaselから字休菴にいらした。うれしい。そして可愛らしい天目らしき茶碗いや、夏茶碗と冬茶碗を頂いた。とても彼らしい作品だ。明日は、常滑の山田想さんと会えるだろうか。とてもとても楽しみにしていた。

即中斎の消息ハガキ

とても珍しい額が手に入った。宗匠の手紙、ハガキで「毎日楽しんで待つているのに手紙がまだ来ないので残念至極。反古張を開けてまつているから精々御早く願います。(まる左) 名越令夫人さ満」とサインペンで走り書きしている。よくある昔の軸装のこのような宗匠のメッセージは巻紙に筆でササッと綴ったものだが。それにしても春芳堂の額装は素朴だが、なかなかいい。現代はこのようになったという証。
この「反古張り(ほごばり)席」は不審菴祖堂にある茶席。啐啄斎好の一畳台目、一畳の丸畳と台目畳(向板)が組み合わさった二畳の最小の茶席、見てみたい。
この「名越令夫人」とはおそらく京都三条釜座(かまんざ)の釜師で、京名越家11代名越昌文の奥方か?先祖の名家名越11代名越善正の子が京初代(名越三昌)と江戸初代(名越家昌)に分家し、京名越家は代々「弥右衛門(やえもん)」を名乗り、「浄味(じょうみ)」と号した。期日や宛先が確認できないので、詳細は分かりませんがおそらく、江戸名越家の家系ではないと思います。

筒井伊賀

とうとう桃山時代を代表するやきものがやってきた。了々斎の花押と「ころ丸」の銘が朱で底に書付けてある。
やはり、水指はこれ。古伊賀は、俗に「伊賀に耳あり、信楽に耳なし」といわれる。特徴とされる箆目(へらめ)が立ち、破調が程よくある。静かな荒々しさから曽我の五郎丸なのだろう。
簡単に、伊賀焼を。天正12(1584)年古田織部の弟子であった筒井定次が伊賀領主となったとき、槙山窯と丸柱窯、上野城内の御用窯などで茶陶を焼かせたとされ、これを「筒井伊賀」と呼ぶ。慶長13(1608)年に改易となったが、この間の名作が五島美術館所蔵、重要文化財の「破袋」であり、焼成時に焼台に底がめり込んだため、偶然歪みができ、大きな破調の美の代表となった。それが桃山時代の茶人の好みともされている。
古伊賀でも、二代領主の藤堂高次のときの「藤堂伊賀」は小堀遠州が指導して製作したもので「遠州伊賀」といい、以前とは対称的に瀟洒の陶器に変化した。そして寛文9(1669)年七代高豊に陶工は信楽に去り、伊賀焼は衰退した。その後、宝暦年間(1751~1764)に「再興伊賀」と呼ばれ、古伊賀とは異なる施釉で日用食器が中心に復活、別物。

江戸の茶道具三選

一、大西定林造 姥口平丸釜
江戸中期の幕府御用を務めた釜師(初世浄林の弟の子)、江戸大西家の祖。具体的な歴史的建造物や場所は特定できないが寛永年間、古田織部に従い、父の二代浄清と共に江戸へ下向した定林が、江戸に留まって興した。釜の型は歯の抜けてしまった老女の口に似て、口縁部が内側に丸く落ち込んで、つぼまった形の口造りなので、姥口と呼ばれている。浄長(十三代清右衛門)極

一、三浦乾也造 竹図四方蓋置
明治初期の江戸の陶工。江戸末期には伊達侯に招かれて松島寒風沢に造船所を起こし、明治に入り小田原に窯を開く、その後東京に戻って葛飾区小菅で煉瓦を製造。のち深川高橋付近に陶窯を築き、1875(明治8)年より向島長命寺内で製陶した。陶法は尾形乾山風を慕って、西村貌庵から乾山伝書を授かり多く乾山作を模倣した。「乾也玉」と呼ばれた根掛けやかんざしの珠が流行った。乾山を称しなかった理由は謙遜からとも、独自の見識からともいわれている。

一、輪王寺宮天真法親王筆 和歌色紙
「晴ゆくか雲と霞のひまみえて雨ふきはらふ春の夕かぜ」(風雅和歌集、徽安門院)古筆宗家6代の古筆了音が認めており、天真法親王は後西天皇の皇子で、乾山を庇護した公弁法親王の兄富にあたる。