寿山萬丈高

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初、前大徳。紫埜は、
手にしないようにと思っていたのに〜。やばい、ついにこの領域に入ってしまった。
何せ、12代惺斎の長男の与太郎(不信斎)が昭和10年(1935)に「宗員」号を大徳寺の老師から受けた。その弟は覚次郎(13代即中斎)。この老師こそ、大徳寺488世/円山傳衣なのです。その墨蹟。すごい。
さて、「寿山萬丈高(じゅざん ばんじょう たかし)」
寿山とは目出度い、長寿のたとえ。ときどき寿や寿山の文字だけ大きくして、この言葉を含んだ茶掛けは(他を小さくした)多し。
萬丈とはきわめて高いこと(1丈=1尺の10倍、の万倍)。茶の湯で多く使われる言葉。
終南山にも似て山が高いがゆえにあやかり、命の長くありたい、永らえたい。という意。
それにしても、一目惚れ。この墨の流れは、源流。すべての時間の流れであって、絵が文字になって、文字がまた絵に帰った証明。ぼくにはすごいバランスの墨絵に見える。

紹鷗緞子写帛紗

友湖による写し、本歌は名物裂紹鷗緞子
https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0009076
https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0010199
やはり東博にある。明時代の古裂手鑑にもある一重蔓唐草の中にうまく火焔が遇われ、雨龍も配されているよう。武野紹鷗の愛用していたものに由来するが、十四屋宗悟が所有していた宗悟緞子にも関係があるようだが、どのように出来上がったのか詳しくはわかりません。この出帛紗、なぜかシンプルで、ほんとうっとり。

即中斎在判 独楽ノ紋香合

今日は山鉾巡行。
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さて、写真は井上良斎作の染付。最初に見つけたものですが、成約済みでした。これは即中斎の書付(箱書)はあるのですが、香合の蓋裏に花押が書かれていない。その後いくつか見かけたのですが、在判のものはないのです、、、謎。坂倉新兵衛13代と14代も作っているようですが、ぼくのは12代の、全体に、ほんわかした色合い、手触りも抜群の萩焼き。もちろん、朱書きの在判、箱書も素晴らしい。本当にこの香合のような即中斎の解釈が好きで好きでたまらない。こういうことを「傳来写シ」というのだろう。
どうして、ここまでこだわって探しているのか理由がある。
三千家の独楽の家紋に微妙な記号的な差があり(ツボツボも同様に位置と重なりの違い)、おそらくことのはじめは如心斎自作二つの香合、これが「本歌」なのだと思う。これは丸みを帯びていて黒っぽい。即中斎のものはほとんどが白っぽく、平たい。それと、渦のカタチはシンプルに、、、まだまだいろいろと探索は続くのですが。
https://www.kitayamakaikan.jp/test/exhibition/past/2005/pdf/exhibition_20050609_mokuroku.pdf
独楽紋・Komamon

結界

とは、Barrierではない。
(存在はあるが、できるだけ空を感じるものを探している)
●●寺の古木の、
竹の、
石の、
とても重要。
そして扇子で(必要とされるとき、いつでも)。

澤木興道筆 萬象之中独露身… (1941)

とうとう探していた掛物に出会った(なんと、ヤフオクで見つけたので10年以上ぶりに入札してみた)。茶掛けというより、仏事掛けなのかもしれない。表装が傷んでいるが(一種の詫び)、「回」の字なんか感動的(渦=無限大の円相)! 筆が走っている。生生きとした書を見ていると想像が膨らむ。この30日は父元治の22回忌。檀家にしていただいた佐久の貞祥寺には澤木老師の書がいくつも掲げられている。いつかはうちにも、、、と思っていた。また手に入れた禅語がとてもいい。
萬象之中独露身
ばんしょうのうちどくろしん
更砂何処著根塵
さらにいづれのところにおいてか、こんじんをつけん
回首独倚枯藤立
こうべをめぐらして、ひとりことうによってたてば
人見山兮山見人
ひと やまをみ、やま ひとをみる
中国唐末の禅僧、長慶慧稜禅師が悟りを開いた時の心境を述べた偈があります。(景徳伝灯録、巻十八)「万象の中に独り身を露あらわす(森羅万象の中における独尊の身。各自の本来人をいう。天上天下唯我独尊と同じ)」からはじまって、、、
鎌倉後期から南北朝にかけての曹洞宗の僧、大智祖継(永平六代の祖)による山居の偈頌(げじゅ)集に収まっている一篇。
https://www2.dhii.jp/nijl_opendata/searchlist.php?md=thumbs&bib=200013620
最後の「疑うらくは私が山を見ているのだろうか、山が私を見ているのだろうか」という意味の言葉、現世ついには問答を勘違いして人が山を見るだけの世界になり、人が山を切り崩し、山を征服するようになった。つまり一方通行の、、、
澤木老師の著作は相当読んだから、この掛軸から話の世界はここ小さな茶室で広がるけど、同じ禅僧でも、小慣れた書(書家と類似するような良い姿の書)では、その僧侶の禅の世界は説明できないし、前大徳塔頭一行物や一字書みたいな高価でかっこいい書は、たぶん理解できないので購入することはないだろう。やはり、ぼくの原点は福井の永平寺(1244)と輪島の總持寺(1321)なのかもしれない。京都の大徳寺(1325)は何度も訪れているが、重要なところには入れないし、偉大すぎてぼくの茶のレベルでは接点があまりにもない。

茶カフキ之記 無着軒ニ於(1981)

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執筆は兼中斎、箱書きもしているということは、おそらく皆中者の方*に、表装してお渡ししたのでしょう(通常は紙を筒状にして、ただ天の端をペコッとするだけ?)。
– 笑子* 全
– やゑ
– かツ子
– 㐂代子
– 弘子 一
全てが女性。なんとすごい、豪華な茶会だったのでしょう(亭主は不明)。如心斎が制定した茶カブキ(闘茶のひとつ)は利休忌2月28日に行われるのが慣例なので、その頃出す茶掛けですが、ぼくは客との話の向きで、これを掲げようと思っています。茶カブキの本来の深い意味(ある種の戒)を今一度考えることなど、再認識したいものです。
皆中者がいない時は、このように外に出ない記録なので、とても目出度い貴重な軸だと思います。どうして手放してしまったのだろうか、謎。やはり即中斎書付のがあったら見てみたいけど。客個人の思い入れがあるから、きっと巷には出ないと思います。
ところで、最初の記録は『利休忌茶カフキ之控』、その頃は記録を渡さなかったようで:
不審菴ニ於(1744)亭主は多田宗菊、試筆は中村宗哲
– 如心斎
– 堀内仙鶴(初代)
– 淡斎(小西彦右衛門) 全
– 宗雪(川上不白) 一
– 長入(七代樂吉左衛門)
全てが男性。この面面、想像するだけで興奮する。やはり5人。ぼくのと書付の感じがとても似ている。
難解な消息より、ぼくは好きです。

Tom Sachs: TEA CEREMONY

https://www.operacity.jp/ag/exh220/index_e.php
https://bijutsutecho.com/magazine/news/exhibition/19691
今、日曜美術館で放映されてた。興味深い人だけど、全てゴミだな。
感想:正座していたので、安倍信三よりは理解度が上のよう。