稽古始め:
掛物 即中斎筆 春入千林處々鶯
釜 即中斎極 丸釜 古浄元作
炉縁 沢栗 久以作
香合 即中斎好 傳来独楽紋
蓋置 青釉竹節 覚入作
茶入 李朝中期絵御本 銘:韋駄天、仕覆真田間道
真竹茶杓 常づかい 銘:蓬莱
主茶碗 黒樂 銘:初代錦 一指作*
替茶碗 萩*と越前焼刷毛目 五島哲作*
(由緒:扁額作者の菊谷氏の母上所持品を譲り受けた三碗*)
掛花入 青竹一重切
花 短い結柳、白椿蕾添え
濃茶 子昔 詰:一保堂茶舗
菓子 常盤饅頭 二久作
「利休のかたち」展にて
大晦日に会場にて『山上宗二記 (今日庵文庫蔵)』を拝見。論点となる「山ヲ谷西ヲ東ト茶湯ノ破法度物ヲ自由ニス、」のところの解釈が、利休は茶ノ湯を自由になしたが、名人なればこそ正道は外れないという旨。この解釈が、決して7Fのようなことではような気がする。
指月集には「茶道の本意は、ひとえに清閑をたのしぶ人に存して、墨宝、名器の中にあらず。」とある。
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茶道具には「利休好み」や「利休形」など千利休の名を冠した道具が数多くあるが、それがはたしてデザインとしてスタンダードとなっている「利休のかたち」ということなのか、、、東京・松屋銀座で「利休のかたち – 継承されるデザインと心」展2020年1月20日まで。
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それは儀礼的なものを無視したことでなく、…古人もこれを茶の湯の心得、その法式を大切にすることのみを心懸けていたが、「易ハ、其法式ヲ階子ニシテ、多少高キ所ニモ登リタキ志」があってそれに立ち向かったのである。
『茶の美学』p.83–84
2020年 謹賀新年
安倍政権の三つの問題点:
第一「責任の放棄」
第二「国会軽視」
第三「官僚の変質」
まず、日本という国を正すこと。
そして、個人個人も基本から。
今年は、勝負の年。
出版社としてスタート。
久以
侘た炉縁。+1歳の記念に。
ふさわしい来客時に、この景色をぜひ。この極自然で作為のない木目、色と艶。完成の域に達してきた。(普段の炉縁は直記作)
衝開碧落松千尺
一般に茶掛だと、松樹千年翠、松無古今色、吟風一様松、冬嶺孤松秀、鶴舞千年松(白鶴舞老松)あるいは松一字。実に目出度い。
この禅語の出典は不明で『嘉泰普灯録』らしい。下は截斷紅塵水一溪(こうじんを せつだんす みずいっけい)と続く。謎なのは(へきらくを ほうかいす まつせんじゃく)「碧落衝開松千尺」とそのまま書かれている(字並びはこっちの方がいいと思う)。
一本の松(枯れない常緑の精神)が高く崧え、真青な天空(浮世)を衝き破る様子。立った道人の孤高さを示している。明治8年(1875)加賀天徳院25世18年間の大休悟由禅師の筆で、永平寺に入山する前の墨蹟。また表具はボロボロ、おまけに天から水跡のシミが天に突き抜けているうちの赤松のよう。欲しかった僧の書。先日の「喫茶去」のように緩くない実に強烈な書と出会った!

森3 SUN SUN MUSEUM
http://picpanzee.com/place/426688624768578
大休悟由の「喫」
趙州喫茶去
師問二新到。
上座曾到此間否。
云不曾到。
師云。
喫茶去。
又問。那一人曾到此間否
云曾到。
師云。
喫茶去。
院主問。
和尚不曾到教伊喫茶去即且置。
曾到為什麼教伊喫茶去。
師云院主。
院主應諾。
師云。喫茶去
ん〜残念。
古今墨蹟鑒定便覧
ここんぼくせきかんていべんらん
https://www2.dhii.jp/nijl_opendata/searchlist.php?md=idl&bib=200008045
我的字體排印學之路:字體排印新浪潮之父沃夫岡‧魏因加特
中文で発刊されました。すごい!なんとぼくのページがサンプルで!!偉い台湾!!!


茶壺
謎な歌。
炉開きで、壺飾りを。『習事十三箇條』は点前ではありませんが、基本の所作です。本としてもよい佇まい。