不仙斎添書 兼中斎若書、「長生庵 吉彦書之 平常心是道」
後にご自身で箱書されて、これを世に出していることのすごさ、加えて表装の状態も傷みですごいのだけど、そこが何かを言わんとしていて自然でよい。ぼくに合っている侘。
実は、長年、墨蹟花押ふたり(高僧と宗匠)の茶掛が気になっていたのだけど、そういうものは印刷物でしか見たことなく、実際にはなかなかお目にかかれない。一方、風炉先屏風など絵の余白に書き添えた画賛はよく見かけるけど、うちの茶室には相応しくない(書家の表具や画家の作品は絶対にありえない)。
「びょうじょうしんこれどう」
意味は「ふだんの心が悟りである」ということ。
無門関第十九則「平常是道」本則:
南泉、因みに趙州問う、如何なるか是れ道。
泉云く、平常心是れ道。
州云く、環って趣向すべきや否や。
泉云く、向かわんと擬すれば即ち乖く。
州云く、擬せずんば争でか是れ道なるを知らん。
泉云く、道は知にも属せず、知は是れ妄覚、不知は是れ無記、若し真に不擬の道に達せば、猶大虚の廓然として洞豁なるが如し、豈に強いて是非す可けんや。
州云く、言下に頓悟す。
唐の南泉禅師とその弟子趙州禅師の問答で、南泉禅師が「平常心」といい、趙州がこれを「道」と会得し、「日常の用心」と悟った。この公案を瑩山禅師の師である義介禅師が説き示されると、瑩山禅師は「日常あるがままの心が仏道そのものである」と、たちまち心が開け、「我れ会せり」と思わず叫ばれたそうです。
若くして、この言葉を選ばれたとは、なんと素晴らしい方なのか。茶を点てるたび心せねば。いつの歳頃の書なのだろうか?(おそらく旧制中学1930年代前半) それにしても勢いがすごい書です。積極的にふだんからこれを掛けよう。理想的な茶掛!
金林寺
ツボツボがない即中緞子の袋を着せたのは、誰なのだろう?
この人のおいしい濃茶を想像してしまう。
未だに茶入(焼物)は気に入ったものに出会えない。それにしても溜にはうっとり。
在りし日の椎木
先ほど、都立竹台高校校庭の椎木二本が逝去されました。
伐採直前に、新潟の純米酒でお清めをして、太い幹を触って先祖代々からの感謝の気持ちを伝えました。
the white carnation
Second Sunday in May, Mother’s Day, Anna Jarvis, Founder
正式名称らしいけど、ぼくの場合は毎日が母に感謝して、一緒に行動しているので、この日という特別な日はないなぁ。
平成
平和、成ス。
素晴らしかったと思う。
Time Remembered
吉祥寺に30年ぶりぐらいに行った。駅と公園がとても混んでいて、こんなに人が居る状態は久しぶりだったので頭が変になった。お目当ての茶道具屋と菓子匠に寄った。明日の客人のため。
残念ながら映画は最高とはいえない。最近の有名人ドキュメンタリー映画は本当に出来がよくないものばかり。でも、ご本人がすごい人であることには変わりない。
EVANS IN ENGLAND
RECORD STORE DAY(disk union Jazz)に遅ればせながら、研究社で打ち合わせの帰りに寄ってみた。
やっぱりいい、この限定版レコード HLP-9037。これしか欲しいのなかった。ま、今年はここまでかなぁ。
山是山水是水 即中斎筆
誠に残念。やはり描かれていたんだ。
いい文字だ。やはり、各々同じでないのか、、、見つけたのに、早い者勝ちの買い物で、先週、負けた。ほんとうに昔から弱い、こういう勝負に勝ったためしがない。しかし驚いた。世の中には欲しい人がいるんだ、、、
ぼくは、今とてもこの正法眼蔵の言葉に合っている身の立場にいるので、とてもほしい。茶の湯に関係する物品は、ひとつしかない(デザインとは違う世界)。「出会いだ!」と道具屋さんは言う。
さて、この見つけた茶掛けの難は、共箱でないこと。即中斎の箱書きは、軸の書より美しいと言ってよい。その箱がない。それから表装がイマイチ。写真で見ているので確かではないが、なんとなくあまい(何か理由があるのか)。ここなのかもしれない。一本あるということは、きっとまだよいのが世の中にあるのかもしれない。今回はその提示なのかもしれない。きっとよい出会いがあるに違いない。
花とこのようなものたち囲まれて、客に茶を点てるしあわせ。しかし、ここのところ客が多かったし、仕事以外のことで、ちょっと疲れた。
訃報
昨晩、八十島氏から先生のおしらせをお聞きする。
2月26日、誰にも知られずに、ひっそりと。
昨年、お会いできてよかった。最後のお出かけだったそうです。
あの時に、はじめて褒められた。
どうぞ、やすらかに、お眠りください。
銘 春駒
「令和」の記念に(四月の魚?)。
竹尺八花入
黒田宗傳作 兼中斎在判 箱書(1983)