蓬壷生春酒=ホウコ、シュンシュを、ショウず。
「壷が酒を生む? → (うまい酒で)永久に目出度い」
Weingartに捧げる。
中国の神仙思想がうかがえる詩。蓬莱山は古代中国で東の海にある仙人が住むといわれていた仙境東方の三神山のひとつ。山の形が壺(つぼ)に似ているところから蓬壷。
道教の源流のひとつとなった「神仙」とは、蓬莱山に棲み、飛翔や不老不死などの能力を持つ人にあらざる伝説の僊人や羽人のこと。不老長寿の仙酒(春酒=清らかな酒)をつくっており、「詩仙」と称えられた中国唐代の天才詩人李白はこの酒をこよなく愛したことでも有名で、同時代のもうひとりの詩人・杜甫は李白を評して「酒を一斗飲めば、詩が百も(無限に)出てくる。自らを酒中の仙人と称している」
即中斎は永遠に回り続ける独楽の紋様意匠「独楽繋ぎ」と絶妙にかけている。独楽が何重にも重なりとてもおめでたい紋様。惺斎好みで有名。一文字のコマ文竹屋町裂が光ってる! とにかくすばらしい春芳堂製短冊台表具と相俟って。
昆曲传承第五讲郑培凯:汤显祖的前世与今生。
秋底山河数点烟,真人气候蔚罗天。
蓬壶别贮生春酒,京洛传看小字笺。
鹤唳月明珠树里,渔歌风色杏坛前。
也知姑射能冰雪,谁道汾阳一窃然?
猜猜这首诗描述的什么地方的美景?
http://blog.sina.com.cn/s/blog_4cee40a30100hv1e.html
現代中国語:「春酒=新年会」個人的には、この詩に関係ないと思う。
昭和25年 広告塔 (東京丸の内?新橋?)
日本にもあったのか。おどろいた。Plakataushang?
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太平一曲大家知
タイヘイのイッキョク タイカをシる。
臨済宗において尊重される、代表的な公案集。全10巻。宋時代 (1125)に圜悟克勤によって編された雪竇重顕選の公案百則に、垂示、著語、評唱を加えたもの=仏果圜悟禅師碧巌録
碧巌錄 卷第七(六一舉)
風穴垂語云(興雲致雨。也要為主為賓)若立一塵(我為法王於法自在。花簇簇錦簇簇)家國興盛(不是他屋裏事)不立一塵(掃蹤滅跡。失卻眼睛。和鼻孔失也)家國喪亡(一切處光明。用家國作什麼。全是他家屋裏事)雪竇拈拄杖云(須是壁立千仞始得。達磨來也)
還有同生同死底衲僧麼(還我話頭來。雖然如是。要平不平之事。須於雪竇商量始得還知麼。若知許爾自由自在。若不知朝打三千暮打八百)只如風穴示眾云。若立一塵。家國興盛。不立一塵。家國喪亡。且道立一塵即是。不立一塵即是。到這裏。須是大用現前始得。所以道。設。使言前薦得。猶是滯殼迷封。直饒句下精通。未免觸途狂見。他是臨濟下尊宿。直下用本分草料。若立一塵。家國興盛野老顰蹙。意在立國安邦。須藉謀臣猛將。然後麒麟出鳳凰翔。乃太平之祥瑞也。他三家村裏人。爭知有恁麼事。不立一塵。家國喪亡。風颯颯地。野老為什麼。出來謳歌。只為家國喪亡。洞下謂之轉變處。更無佛無眾生。無是無非。無好無惡。絕音響蹤跡。所以道。金屑雖貴。落眼成翳。又云。金屑眼中翳。衣珠法上塵。己靈猶不重。佛祖是何人。七穿八穴。神通妙用。不為奇特。到箇裏。衲被蒙頭萬事休。此時山僧都不會。若更說心說性。說玄說妙。都用不著。何故。他家自有神仙境。南泉示眾云。黃梅七百高僧。盡是會佛法底人。不得他衣缽。唯有盧行者。不會佛法。所以得他衣缽。又云。三世諸佛不知有。狸奴白牯卻知有。野老或顰蹙。或謳歌且道作麼生會。且道他具什麼眼卻恁麼。須知野老門前。別有條章。雪竇雙拈了。卻拈拄杖云。還有同生同死底衲僧麼。
當時若有箇漢出來。道得一句。互為賓主。免得雪竇這老漢後面自點胸野老從教不展眉(三千里外有箇人。美食不中飽人喫)。且圖家國立雄基(太平一曲大家知。要行即行要住。即住盡乾坤大地是箇解脫門。爾作麼生立)謀臣猛將今何在(有麼有麼。土曠人稀相逢者少。且莫點[(曷-曰)/月])。萬里清風只自知(旁若無人。教誰掃地。也是雲居羅漢)。適來雙提了也。這裏卻只拈一邊。放一邊裁長補短。捨重從輕。所以道。野老從教不展眉。我且圖家國立雄基。謀臣猛將今何在。雪竇拈拄杖云。還有同生同死底衲僧麼。一似道還有謀臣猛將麼。一口吞卻一切人了也。所以道。土曠人稀相逢者少。還有相知者麼。出來一坑埋卻。萬里清風只自知便。是雪竇點胸處也垂示云。以無師智。發無作妙用。以無緣慈。作不請勝友。向一句下。有殺有活。於一機中。有縱有擒。且道什麼人曾恁麼來。試舉看。
十二代堀内宗完(兼中斎)箱書
とてもよいものをみつけて、還暦記念に自分に贈った。
影林宗篤作 竹引切 炉風炉蓋置 共箱
ふたつの竹に朱漆花押。すばらしい。客人をお招きするのにふさわしい道具。
宗完宗匠は、一番好きなあこがれの茶人。
『おのれを磨く 日々のけいこ』は、ぼくにとってたいせつな本!
(もし研究室がまだあって大学院生がいたら)教科書にしたいぐらいw
やっと落ち着いて、このような境地に入り込んできた。
初茶湯
家族の予定で今年は今日、皆で祝った。常盤の松に積もった雪を見立てた饅頭、今年のは妹の手作り。明日は初組版。
瓜生外吉邸 跡地
小泉邸の隣人:
うりゅう そときち
– 東京本邸 北豊島郡日暮里村(現:荒川区東日暮里5丁目8, 9, 10, 14番地付近)
– 別邸 小田原市南町
大日本帝国の海軍軍人。最終階級は海軍大将。石川県出身。男爵
安政4年(1857)–昭和12年(1937)
加賀藩支藩の大聖寺藩士・瓜生吟弥の次男として生まれる。明治5年海軍兵学寮に入る。明治7年に設立された東京第一長老教会のメンバーになる。明治8年にアメリカに留学。明治14年アナポリス海軍兵学校を卒業し、同年11月に海軍中尉任官。
■妻 益田繁子 実業家 茶人・益田孝 男爵の妹
文久2年(1862)–昭和3年(1928)
津田梅子らとともに第一回海外女子留学生としてアメリカに留学。ヴァッサー大学音楽学校卒業。アメリカ生活は10年。現地で外吉と恋愛、帰国して結婚。
■子
●千代 カナモジカイ創設者・山下芳太郎夫人
●剛 明治19年– 次代当主/妻=布目満造の娘・秀子 明治29年–昭和2年
●忍 実業家・峠延吉夫人
●栄枝 政治家・森恪夫人
出典:
https://omugio.exblog.jp/21899087/
おそらく二度目の4月13日?の東京大空襲で、全部焼けてしまったのではないかなぁ。残念。
new year 2019
あけましておめでとうございます。
特別に、印刷物の年賀状をつくりました (これら6枚だけを手作り、昨年の作品の一部分)。35年ほど前にクライアントだった竹尾でのみ実物を見ることができます。「クリエイター100人からの年賀状」展 vol.14。ぼくのは東京、大阪、福岡。宇野のは東京 (祝初出展)。全部違います。どうぞお越しください。
「※展示でのリアル感を演出するために、直筆でのご記名をお願い申し上げます。」という文言に賛同して。大笑
もちろん、お世話になった方方には、きちんと全て手書きでのご挨拶。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
永日の時を期し候
60th birthday
長いようで、短かった。
人生で区切りの年。特に今年はたいへんでした。人に裏切られて、弁護士さんと「合意書」という書類を膝を突き合わせて作っていました。1月からなんとなく気配がおかしくなり、なんだかんだ決着まで8月一杯までかかりました。その間、持病の十二指腸潰瘍がとても悪くなって、胃痛と血便の連続。何度も胃カメラ。とにかく、ぼくのほうから一方的に信じきっていたのが原因。本性はうそつき・約束を守らない・とんでもない人だった。入院はしないで済んだけど。判明した時、仕事どころでなく、とても精神的に危機的だった。気がつかなかったぼくがばかなんだけど。でも、とてもすばらしい弁護士さんと出会えた年だった。怪我の功名。人との出会いとは不思議なもの。
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この写真、50歳のときは、ワインガルトとイスタンブールでふたりで祝った。あれから丸10年経ったのか〜。
ぼくのここまでの人生は、ほんといろいろな人に助けていただいた。周りのみなさんのおかげ。今年は恩師たちにもお会いすることができ、ほんの少しでも感謝の気持ちを伝えられたのではないか。わざわざ会いに来てくださった人も!涙。
これから、これまでのまとめに入る。お膳立てはできた。そして今日60歳になった。生きている。これから何年生きるかわからないけど、一歩一歩、まだまだ一本道は続く。
それにしても、ここまでの自分を知るまでに、時間がかかった。
新版 カナ ノ ヒカリ
確か2013年に解散したあと一度、変なカナ ノ ヒカリが送られてきましたが、
今年の夏に「2015ネン アキ 959ゴゥ」、今日「2016ネン フユ 960ゴゥ」が送られてきました。おどろきました。現在は2018ネンのおわりなのに、おもしろい。
キクチ カズヤさんが、なかなか、がんばられている。
Pierre Alechinsky: Calligraphie japonaise
https://archive.org/details/japanesecalligraphy