黒茶碗
稲妻 江岑書付
獅子 如心斎書付
升 覚々斎書付
千鳥 覚々斎書付
赤茶碗
鳳林 江岑書付
若山 如心斎書付
鵺 覚々斎書付
昨日のは、赤で、京焼となっていた
宗旦の時代だと、古いのか、、、道入初期?
丸釜
6代大西(古浄元) 即中斎若書付
釜環 鉄槌目小振 金森徳元 3代下間庄兵衛極
10.17
紹鷗緞子写帛紗
友湖による写し、本歌は名物裂紹鷗緞子
https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0009076
https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0010199
やはり東博にある。明時代の古裂手鑑にもある一重蔓唐草の中にうまく火焔が遇われ、雨龍も配されているよう。武野紹鷗の愛用していたものに由来するが、十四屋宗悟が所有していた宗悟緞子にも関係があるようだが、どのように出来上がったのか詳しくはわかりません。この出帛紗、なぜかシンプルで、ほんとうっとり。
即中斎在判 独楽ノ紋香合
今日は山鉾巡行。
さて、写真は井上良斎作の染付。最初に見つけたものですが、成約済みでした。これは即中斎の書付(箱書)はあるのですが、香合の蓋裏に花押が書かれていない。その後いくつか見かけたのですが、在判のものはないのです、、、謎。坂倉新兵衛13代と14代も作っているようですが、ぼくのは12代の、全体に、ほんわかした色合い、手触りも抜群の萩焼き。もちろん、朱書きの在判、箱書も素晴らしい。本当にこの香合のような即中斎の解釈が好きで好きでたまらない。こういうことを「傳来写シ」というのだろう。
どうして、ここまでこだわって探しているのか理由がある。
三千家の独楽の家紋に微妙な記号的な差があり(ツボツボも同様に位置と重なりの違い)、おそらくことのはじめは如心斎自作二つの香合、これが「本歌」なのだと思う。これは丸みを帯びていて黒っぽい。即中斎のものはほとんどが白っぽく、平たい。それと、渦のカタチはシンプルに、、、まだまだいろいろと探索は続くのですが。
https://www.kitayamakaikan.jp/test/exhibition/past/2005/pdf/exhibition_20050609_mokuroku.pdf
独楽紋・Komamon
兼中斎好 鵙屋緞子帛紗(1994)
なかざわ織物製、波に利休梅(波のしぶきの一部)。
本歌は名物裂萬代屋緞子(萠黄波模様緞子)もずやどんす
https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0010210
東博にある(色が褪せているのか、、、)。これは、すばらしい写し!
結界
とは、Barrierではない。
(存在はあるが、できるだけ空を感じるものを探している)
●●寺の古木の、
竹の、
石の、
とても重要。
そして扇子で(必要とされるとき、いつでも)。
茶カフキ之記 無着軒ニ於(1981)
執筆は兼中斎、箱書きもしているということは、おそらく皆中者の方*に、表装してお渡ししたのでしょう(通常は紙を筒状にして、ただ天の端をペコッとするだけ?)。
– 笑子* 全
– やゑ
– かツ子
– 㐂代子
– 弘子 一
全てが女性。なんとすごい、豪華な茶会だったのでしょう(亭主は不明)。如心斎が制定した茶カブキ(闘茶のひとつ)は利休忌2月28日に行われるのが慣例なので、その頃出す茶掛けですが、ぼくは客との話の向きで、これを掲げようと思っています。茶カブキの本来の深い意味(ある種の戒)を今一度考えることなど、再認識したいものです。
皆中者がいない時は、このように外に出ない記録なので、とても目出度い貴重な軸だと思います。どうして手放してしまったのだろうか、謎。やはり即中斎書付のがあったら見てみたいけど。客個人の思い入れがあるから、きっと巷には出ないと思います。
ところで、最初の記録は『利休忌茶カフキ之控』、その頃は記録を渡さなかったようで:
不審菴ニ於(1744)亭主は多田宗菊、試筆は中村宗哲
– 如心斎
– 堀内仙鶴(初代)
– 淡斎(小西彦右衛門) 全
– 宗雪(川上不白) 一
– 長入(七代樂吉左衛門)
全てが男性。この面面、想像するだけで興奮する。やはり5人。ぼくのと書付の感じがとても似ている。
難解な消息より、ぼくは好きです。
二畳敷隅炉
天正15(1587)年2月25日朝、山里の茶室に神谷宗湛が招かれたのが記録では初出。うちの原型。
Tom Sachs: TEA CEREMONY
https://www.operacity.jp/ag/exh220/index_e.php
https://bijutsutecho.com/magazine/news/exhibition/19691
今、日曜美術館で放映されてた。興味深い人だけど、全てゴミだな。
感想:正座していたので、安倍信三よりは理解度が上のよう。
父子ふたり合筆の茶掛
不仙斎添書 兼中斎若書、「長生庵 吉彦書之 平常心是道」
後にご自身で箱書されて、これを世に出していることのすごさ、加えて表装の状態も傷みですごいのだけど、そこが何かを言わんとしていて自然でよい。ぼくに合っている侘。
実は、長年、墨蹟花押ふたり(高僧と宗匠)の茶掛が気になっていたのだけど、そういうものは印刷物でしか見たことなく、実際にはなかなかお目にかかれない。一方、風炉先屏風など絵の余白に書き添えた画賛はよく見かけるけど、うちの茶室には相応しくない(書家の表具や画家の作品は絶対にありえない)。
「びょうじょうしんこれどう」
意味は「ふだんの心が悟りである」ということ。
無門関第十九則「平常是道」本則:
南泉、因みに趙州問う、如何なるか是れ道。
泉云く、平常心是れ道。
州云く、環って趣向すべきや否や。
泉云く、向かわんと擬すれば即ち乖く。
州云く、擬せずんば争でか是れ道なるを知らん。
泉云く、道は知にも属せず、知は是れ妄覚、不知は是れ無記、若し真に不擬の道に達せば、猶大虚の廓然として洞豁なるが如し、豈に強いて是非す可けんや。
州云く、言下に頓悟す。
唐の南泉禅師とその弟子趙州禅師の問答で、南泉禅師が「平常心」といい、趙州がこれを「道」と会得し、「日常の用心」と悟った。この公案を瑩山禅師の師である義介禅師が説き示されると、瑩山禅師は「日常あるがままの心が仏道そのものである」と、たちまち心が開け、「我れ会せり」と思わず叫ばれたそうです。
若くして、この言葉を選ばれたとは、なんと素晴らしい方なのか。茶を点てるたび心せねば。いつの歳頃の書なのだろうか?(おそらく旧制中学1930年代前半) それにしても勢いがすごい書です。積極的にふだんからこれを掛けよう。理想的な茶掛!