辞令>>>メールアドレス

本日、長岡造形大学にて理事長から退職辞令をいただきました。ようやく背負っていた重くて大きな荷物を完全におろすことができました。4月から学事暦に従わなくてよいのです。毎週新幹線に乗らなくてよいのです。とにかく、うれしい。
4月1日から、ぼくの
@nagaoka-id.ac.jp
@pb3.so-net.ne.jp
両メアドは使用できなくなります。

植木等

偉大な人が亡くなった。大好きな人だった。
おやじにつれてってもらったトコヤで、ぼくはスーダラ節を歌っていたひょうきんな子供だった。「ベイビー」というトコヤを思い出す。

アトリエ・ワン展記念懇親会

仕事の合間、抜け出して顔を出してきた。たくさんの人たちの中、塚本さんと貝島さんに久々にお会いした。
「いきいきとした空間の実践」これはタイポグラフィにもいえる大きなテーマ。ある建築家のあいさつにあったプロ/アマチュアとは。。。頭の中に余韻が残った。
塚本さんとは彼がまだ東工大の研究室在籍中からの知り合いで。。。貝島さんは院生なりたてだった。彼らとはなつかしい思い出ばかりです。当時、ぼくは彼の那須の家がすごく好きで、いまでも日本の、世界の、現状をみれてる仕事を影ながら応援しています。
人形劇にはおそれいった!さすがだ。(入った瞬間、舞台と客席のパラドックス?)
http://www.toto.co.jp/gallerma/ex070308/index.htm
http://www.bow-wow.jp/

森鴎外/稲垣知雄

ここのところ移動が多い。隠って集中して仕事したいのに。。。移動中、鴎外の短編にはまっている。おもしろい。日本語は本当にむずかしい。『妄想(もうぞう)』がよかった。明治44年、ぼくの今の歳の時、書いたのだなぁ。なんとなく、なつかしいドイツの匂いがする。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E9%B4%8E%E5%A4%96
横浜の梅香亭で高校の時以来かな
稲垣知雄の木版『バナナ』を見ながら、、、ハヤシライスを食べた。
http://www2.big.or.jp/~adel/kikai/0602/b/11-b.html
今日は日記のような書き込み。。。っさ、2年以上かかっている強烈な本の最期の仕上げにかかるか!

銀一株式会社創立50周年記念パーティー

昨晩、銀座一丁目のホテルで催された。すばらしいパーティーだった。
日本の代表的な写真家が集った(ぼくは端っこにいました)。
学生の頃からの憧れの店で。丹羽社長さんは本当にすばらしい人だと実感した。
お世話になった銀一の松上さん、そして
渡邉肇さん、豊口隆之さんにもお会いしたし、幸せなひとときだった。
実は実家の暗室は「すべて銀一」! 活用しなくては(写植も?)。。。

on TV

●プロフェッショナル仕事の流儀第38回
「締め切りがあること。そして、その締め切りまでに最善の努力をする人のことじゃないかしら。」浦沢直樹さん登場。ぼくあまり詳しくないのですが、、、「迷っていないよね。この線!」って、しびれてしまった。久々にやる気が出てくる番組でした。自分の考えている道を、地味に悩んで、地味に作っていく。お手本のような人。
http://www.nhk.or.jp/professional/backnumber/070118/index.html

Whistler

ぞくっとくるね。
His Honor: “Are those figures on the top of the bridge intended for people?”
Whistler: “They are just what you like.”
His Honor: “That is a barge beneath?”
Whistler: “Yes. I am very much flattered at your seeing that . . .”

ごあいさつ

1997年、美術出版社「デザインの現場」連載のスタートと同時に立ち上げたhtypo(ホームページ)が、この度blogを加えて新しくなりました。これからもタイポグラフィを中心に、ここからいろいろな情報を発信していきたいと思っております。ご愛好のほど、どうぞよろしくお願い申し上げます。
そして、ひとつ、お知らせがあります。わたし小泉均は2007年3月をもちまして、創立から13年務めました長岡造形大学を退職し、大学教授を辞することにしました。それにはいろいろな理由があるのですが、タイポグラフィを今まで以上に深めていくためによいことだと確信し、自分で決断しました。
これからは、実際のクリエイティブな仕事、社会、そして実践的な教育により力を注ぎ、活動していく所存です。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

2006年という年

何か、きつい年と感じた。改めてアジェンダを見たら、まるまる1週間東京にいられる週は1年通して3回しかない(不思議と今までこのように自分の行動を見たことがなかった)。
さっきHierapolisをやっていた。前から訪れてみたかったところだった。
http://www.nhk.or.jp/sekaiisan/card/cardr055.html
日経サイエンスの35周年記念号はこれから佳境に入る。