森鴎外/稲垣知雄

ここのところ移動が多い。隠って集中して仕事したいのに。。。移動中、鴎外の短編にはまっている。おもしろい。日本語は本当にむずかしい。『妄想(もうぞう)』がよかった。明治44年、ぼくの今の歳の時、書いたのだなぁ。なんとなく、なつかしいドイツの匂いがする。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E9%B4%8E%E5%A4%96
横浜の梅香亭で高校の時以来かな
稲垣知雄の木版『バナナ』を見ながら、、、ハヤシライスを食べた。
http://www2.big.or.jp/~adel/kikai/0602/b/11-b.html
今日は日記のような書き込み。。。っさ、2年以上かかっている強烈な本の最期の仕上げにかかるか!

銀一株式会社創立50周年記念パーティー

昨晩、銀座一丁目のホテルで催された。すばらしいパーティーだった。
日本の代表的な写真家が集った(ぼくは端っこにいました)。
学生の頃からの憧れの店で。丹羽社長さんは本当にすばらしい人だと実感した。
お世話になった銀一の松上さん、そして
渡邉肇さん、豊口隆之さんにもお会いしたし、幸せなひとときだった。
実は実家の暗室は「すべて銀一」! 活用しなくては(写植も?)。。。

on TV

●プロフェッショナル仕事の流儀第38回
「締め切りがあること。そして、その締め切りまでに最善の努力をする人のことじゃないかしら。」浦沢直樹さん登場。ぼくあまり詳しくないのですが、、、「迷っていないよね。この線!」って、しびれてしまった。久々にやる気が出てくる番組でした。自分の考えている道を、地味に悩んで、地味に作っていく。お手本のような人。
http://www.nhk.or.jp/professional/backnumber/070118/index.html

Whistler

ぞくっとくるね。
His Honor: “Are those figures on the top of the bridge intended for people?”
Whistler: “They are just what you like.”
His Honor: “That is a barge beneath?”
Whistler: “Yes. I am very much flattered at your seeing that . . .”

ごあいさつ

1997年、美術出版社「デザインの現場」連載のスタートと同時に立ち上げたhtypo(ホームページ)が、この度blogを加えて新しくなりました。これからもタイポグラフィを中心に、ここからいろいろな情報を発信していきたいと思っております。ご愛好のほど、どうぞよろしくお願い申し上げます。
そして、ひとつ、お知らせがあります。わたし小泉均は2007年3月をもちまして、創立から13年務めました長岡造形大学を退職し、大学教授を辞することにしました。それにはいろいろな理由があるのですが、タイポグラフィを今まで以上に深めていくためによいことだと確信し、自分で決断しました。
これからは、実際のクリエイティブな仕事、社会、そして実践的な教育により力を注ぎ、活動していく所存です。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

2006年という年

何か、きつい年と感じた。改めてアジェンダを見たら、まるまる1週間東京にいられる週は1年通して3回しかない(不思議と今までこのように自分の行動を見たことがなかった)。
さっきHierapolisをやっていた。前から訪れてみたかったところだった。
http://www.nhk.or.jp/sekaiisan/card/cardr055.html
日経サイエンスの35周年記念号はこれから佳境に入る。

bbs 1000番目の書き込み

1000おめでとうございます。なんとなく記念っぽかったので(^o^)/~
2006.8.18
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どじょうさん、ありがとう!ひさしぶりのゲストさんですね。そう!1000を超えました。でも意見交換や情報提供がビッシリでこの数ではありません。最近のほとんどが自動的に送られてくるエッチなものや、くだらんサイト紹介のいたずらメールです。10年前はこんなことはなくて、いろいろな人の書き込みでにぎやかでした。(昔を懐かしむおじいさんみたいだね)>新しいサイトでは編集し直して登場します(1年以上かかった)。
きのう、「デザ現」の編集者にも話したのですが、1997年(仕込みは1996年)ちょうど10年前に、「デザ現」の連載と同時にHP上でWSをスタートしました。この10年でコンピュータ上で情報をやりとりをする、あるいはそれを体験するということが全くといっていいほど変わりました。日常になったというのかな、先日mixiに入って、より深くそれを感じました。加えて、希望塾のMLでもぼくが問題提起しましたが、素人の講演を聞いた解釈や感情でねじ曲げられた不正確なリポートをブログに書き込むという、おろかな行為の話もしました(プロの取材やインタビューとのちがい、ありかた)。つまり発信者の増加と発信内容の質のこと。
タイポグラフィ自体は全く変化していないのにタイポグラフィをとりまく条件や環境が急速に変化しています。これはタイポグラフィに限らず、日常であまり気がつかないものまで、、、(ぼくが大好きな京の町家まで)。でも、人が基本的に求め続けているものは同じだと信じています。一方、同じでは何も進まない場合があります。タイポグラフィの世界は、ぼくが興味を持ち出したころから、一人の世界にとじこもったり、集団でそれを閉じた世界にしてしまったり、ぼくはそれを解放することをしてみたかった。ぼくの本はその起爆剤になればよいと思っていました。今はある意味ではそうなってきて、かなりの層の人たちがタイポグラフィに興味を持って、有名なデザイナーだけが決してよい仕事をしているのではないということを証明してきているように思えるのです。とうとう次の段階になってきました。
ぼくのmindはいつもスイスでのタイポグラフィ・シーンがあります。1990年代、それは実に明るかった。ワインガルトその周辺の人たちがもたらしたものだとぼくは考えています。自由で輝くような時代だった。そのような時間は永遠ではないにしても、いつでも絶やさないでいたい。
どじょう>>>先日、定食屋でひとりでカウンターで食事をしていました。目の前の水槽にたくさんの「どじょう」がいました。ほとんど全員が水槽の底で固まってうごめいていて、ひとりひとりくねくねいろいろなポーズをして、まさに人間臭かった。ひとりだけ水面でほとんど動かないヤツがいて、死んでいるのかなって思っていたら、急に水面に顔を出して息を吸って、水底まで降りていって群れの中に入ってゴソゴソしてまた水面に上がってきて、元気がなくなって。。。おそらくもうすぐ死ぬのだと思うけど、そんなヤツつがいました。水の層、どじょうの層。
ここのところ、元気がなくって、でも。。。自分にきびしく。
いまだに、ときどきぼくのハイパータイポのワークショップやりたい方がいらして、「デザ現」編集部宛にメールをくださるそうです。新しいホームページでは「htypo classic」としてできるようにしたいと考えています。
日記みたいになってしまって、なんどもやめようと思ったけど1000を超えたのは、よかった。(^o^)/~の~が「どじょう」みたいですね。。。

Lebanon/Busan

今週はたいへんだった。ぼくの研究室のカーラさん(ベイルート出身)の母国レバノンが本格的に戦争になってしまった。彼女は不安で一睡もできず、でも(だから)ぼくのプロジェクトをこなしている。
「ことば」は本と言う意味。興味深いポスターを作っている。。。もうひとりの留学生、韓国のジアさん(プサン出身)、彼女の「ことば」もハングルの特徴が出てきて、すごくたのしみ。。。
戦争はやめてほしい。
http://www.nowpublic.com/tag/war