練馬区立牧野記念庭園記念館

とても好きな場所のひとつ。今年の1月に突然だったにも関わらず菅原先生をご紹介いただき、お世話になった学芸員の伊藤さんにお礼をしに出かけた。本ができて一ヶ月以上、ご挨拶に出られず、行動ができないもどかしさ。記念館では書籍販売ができないので、帰りにご紹介いただいた近所の書店に営業。

  • くまざわ書店 大泉学園店
  • ジュンク堂書店 大泉学園店
    おそらく、こちらには『ボタニスト』置いてくださると思います。

記念館で12月6日まで、『牧野日本植物図鑑』出版80周年記念展を開催中。牧野博士の原画は標本とは違った魅力がある。

8Kで文化財「ふれる・まわせる名茶碗」

東博の「特別展桃山天下人の100年」の帰りに気になったので寄った。なかなかおもしろい。国宝を手にするという考えがいい。とにかく今までは絶対にありえないわけだ。しかし、学芸員が茶碗を知らない人なんだなあというのが実感。このような茶碗をあのような状況と姿勢で触ることはまずありえない。裏庭の六窓庵か転合庵できちんとした作法で拝見するという企画にすべきと思う。それと茶碗の展示すべてですが、レベルをあと5センチ下げて欲しい。全て見込みをゆったり見ることができない。展示の担当者はほんとうに知らないんだなぁ、素人。残念。

それにしても信長秀吉家康三幅並んだお軸は圧巻。惚れ惚れする。

徹道一香居士

1952年の今日、亡くなった。いつもは当日にお墓参りするのですが、今日は内装工事なので、昨日母と堀切の正王寺へ。その後、良之さんともお話できた。帰路で駅前の魚屋で秋刀魚を二匹買って、塩焼きにして食べた。やっと日常に戻ってきた。

令和2年11月号 同門

今月号も先月に続いて良い。「吸茶」のこと。濃茶は飲み回しであって「各服点」ではない。先日の裏に対しての答えは、天晴れ以上!

うちでは毎週、妹と一客一亭の稽古。もう半年以上続いている。当然、一碗を共有。

AERA 1825号

p.9の内田樹氏のコラムはとてもいい。

「大学人」=サラリーマン

「学者」=職人(ギルド)

まさしくこれだ。おそらく今は前者しか残れない。ぼくが大学をやめた多くの理由のうちの一つでもある。ある日、ペーペーの事務方から指図=命令を受けた。「教授会で決まったことだから、、、(当時の教授会はすでに全て事務方が作ったシナリオ)」と言われ、ぼくはそれをお前から押しつけられる覚えはない。完全な暴力であった。本当に腐った大学であった。何のためにぼくは当時デザイン教育を学生のために追求していたのだろうか。全てを疑った記憶が蘇る。

p.11の「すがすが(菅菅)しい=うさん臭い」という浜氏もまたいい。

諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教

しょあくまくさ しゅぜんぶぎょう じじょうごい ぜしょぶっきょう

一休の書であまりにも有名。
もろもろの悪をなすことなかれ
もろもろの善を奉行し
自らそのこころを浄くせよ
これ諸仏の教えなり

道徳的で、基本中の基本。おとなしいよい掛物と出会えた。おそらく大徳寺169世墨蹟、ぼくの見立てだと19字のうち15の文字は確証。真筆だと思う。生ぶ表具もいい状態で二つの落款の印影も一致。贋作だったとしても、すごくいい(このぐらいの書になると極めがないものは贋作と考えてよい)。これは素晴らしい贋作w

令和2年10月号 同門

今月号の記事はとても良い。しびれる。猶有斎が即中斎のを引用している。1939年雑誌『わび』に掲載、あまりに共感したので引用させていただく。

 「茶道においては、完全なものより不完全なものにその貴さを見出さんとする傾向がある。具足したものよりも不具足のもの、満足せるものより不満足なものにより以上の価値を見出す態度である。これは侘びという精神にも大いに関連してくるが、これと相関して考えられるのは、近時物資の節約が叫ばれる折柄、各人がお互いに自粛してその目的を達せねばならない。不自由を忍ばねばならない。しかも不自由を単に不自由として忍だけではいけない。不自由の中に自由を見出さねばならない。不満足の中に満足を覚えるのである。不自由を単に不自由として消極的に耐え忍ぶのではなく、不自由の中に積極的に満足を感じて、充足を覚え楽しさを感ずるのである。これが茶道の態度である。

 平凡なことを平凡にやってのけるには、平凡以上の力がいる。平凡なことを平凡にして、しかもそこに自らの妙味を見出すことは、一朝一夕ではできない。これを悟れば、すべての日常のことに無限の滋味が湧いてくる。一度縁あって茶道にいそしんだ人々は、茶道の修練によって、この境地に達して頂きたいと思う。」

昔から、茶の湯の宗匠とは何者なんだろう、、、

僧侶のようで僧侶ではない。

武士のようでそうではない。

貴族のようでそうではない。

芸術家のようでそうではない。

演出家、演じ手のようでのようでそうではない。

料理人のようでそうではない。

書家、水墨画家のようでそうではない。

職人のようでそうではない。

教師のようでのようでそうではない。

目利き、鑑定士のようでそうではない。

花は生けるが華道家ではない。