ちょっと調べもんしてたら。。。この世も末。
http://www.dafont.com/grossakzidentfucked.font
『漆黒の霧の中で』
摺師てんぐ安と鼻六:
鼻六もそうだが、てんぐ安も板にはうるさい男である。鼻六は気にいらないと血相を変えてすぐにどなるが、てんぐ安はどならない。そのかわり彫りに傷があったり、未熟だったりすると、黙って板を突っ返して来る。あとはおととと来い、という態度で、しゃくれたあごをあさっての方に向け、弁解も詫びも受けつけない。こわい男だった。
・・・
土間から家の中まで、足の踏み場もないほど版木や紙が散らばっている乱雑さ***に恐れをなしたこともあるが、・・・途中で長居はしていられなかった。
てんぐ安、やっぱり何度読んでもいいなぁ。
***ううぅ、今ヘルベチカでこんな感じ・・・
『ささやく河』
彫師伊之助と摺師てんぐ安のやりとり:
・・・
「使えねえということはねえさ。まあまあだよ」
てんぐ安は言ったが、積み重ねた版木の中から、圭太の彫った経文の板を抜いて、伊之助に見せた。
「この男は、どうしたんだね?」
・・・
「なに、摺れねえことはねえし、摺ってしまえば同じことだがよ。彫りが心もち浅かったり、深かったり、とどくたんびに違ってるよ」
「さいですか」
「言ってやんな。こいつは彫りに身が入ってねえ証拠だぜ」
・・・
いいねぇ.こういう世界...
e.e.cummings/the voice of the poet
昨日、竹尾ペーパーショウで丸ビルに行った。大盛況で、整理券をもらってから会場に入れるまで1時間以上あったので、ひさしぶりに丸善をプラプラしていたら、意外なCDbookを発見した。
http://www.randomhouse.com/audio/catalog/display.pperl?isbn=
9780739315378
しかし、今日聞いてみたのだが、全く期待外れでがっかりした。あのような空間を意識した詩をかく人の朗読に全く「間」を感じることがなく、彼の詩のタイポグラフィとは異なるのだ。ぼくは詩人ではないので、語る資格はないのだが、ひとこと。ことばを構成している単語、ひとつひとつの文字の扱いには敏感でいたい。日本語は複雑で調べているとおもしろいのだけど。アルファベットは組み合わせで単語をつくることから、表音のその相互の関係(字間と改行の位置)とそれらの文字の純粋な音、つまり音的なものはすごく知りたい。きっと一生考えていくのだと思うけど。。。もうひとつがっかりしたのは、ペーパーショウの展示の中で一点、ひとつの言葉を扱っている仕事があった。でも安易に使われていて(ぼくの感覚からすると)。
ひとつのことばから全てを始める。そしてその深い部分を人々に伝える。昨年まで大学で2年生に出していた単語を平面構成する課題。。。基礎で単純だけど一貫している。。。やっぱり、考えさせられる週末をおくった。
行間
今日はすがすがしかった。NIDでの最後の演習課題「カレンダー」を川岸でボーっと考えていた。XTCのAPPLE BOXのなかのブックレットがなんかいいっというか。めちゃくちゃイギリス臭いんだけどね。S.C.とITA.の使い方、行間が。。。悩むっ!と
デザイナーって?
インターネットが普及した今、使い手の知識というか情報を判断する力がとても求められていると思います。知識とか判断力ってその人がそれまで体験して培ってきたもの、のような気がするんですよね。。。なにが言いたいのかまとまらなくなってきました、が、
私は、koizumiさんが言っている事はすごく意義のある事だと思います。これから行おうとしている事も。
私事ですが、デザインってなんなんだろうってとても悩んでいる時にkoizumiさんのお話しを伺って、すごく勇気付けられたんですよ。デザイナーって、世間一般のイメージだとよく見る雑誌やパッケージや広告のデザインをしているとか、そういう派手なイメージを持たれがちですよね。実際私がやっている仕事(Closedなイベントで使用するものなので)を説明しても理解されない事が多々あります。。。そうすると何か自信がなくなってきて、胸を張ってデザイナーですと言えなくなっている自分がいるんです。
koizumiさんのお話しを伺っていて、こだわることの大切さって言うのでしょうか。すごく感じます。デザイナーって感覚とかアイデア勝負で有名な仕事をしてる方が認められやすいっていう感じがありますけど、先生はどんなものにでも、一つ一つデザインの意味をもって丁寧に仕上げていくっていうのをすごく大切にしているのが伝わってきて。。。物作りに対してとっても真摯というか。。。
私は果たして、人に認めてもらうとかの前に、自分でつきつめて納得いくデザインをしていただろうか。と思いました。まずは自分が本当に納得いくものを作りたいと思いました。そのためにもがいたりするのは恥ずかしい事ではないんだなーって。私もkoizumiさんのようにデザインに対して真摯でありたいと思います。自分がデザイナーとして今後どうなるのかちょっぴり楽しみになりました。それには努力が必要なのですけれど。
白金のお教室や地下都市もこれからがどうなるのかすごく楽しみです。 2006.8.22
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どじょうさん、長い御意見ありがとう!ひさしぶり、ここで会話をするのは(正直うれしい)。この時代のhtypoの終焉にふさわしいですね。そして、ぼくに負けず劣らず辛口、いい気分ですね!「design is attitude」これは昔から尊敬するヘルムート・シュミットのスローガンですが。まさしく、仕事に対する規範のようなものがどじょうさんの言っていることだと思います。ぼくもこれを守って生きていきたい。どじょうさんの仕事もきっと深いものだと思います。あなたが携わる前の状態、携わってからの経過そしてこれから。想像して仕事をしてみましょう、理想を持って。。。デザインの仕事は世間の情報が助けて、おっしゃるとおりどんどん派手でスター指向になってきてます。ぼくはあえてこれに背を向けて生きます。そこに大切な意味を感じているから。これは労力と時間がかかってたいへんな仕事だと思います。ぼくは地味な仕事が大好き。でも、仕事の喜びはそこにあります。そのことがわかってくれる同士が増えていくことがぼくの夢です。来年の4月からはひとつひとつ打ち込めます。
ぼくの本の第0章「タイポグラフィには分野がない」この章を実行に移す時がやってきました。白金の学校はたのしみでしょうがないのですが、どのようにしていけばよいのか。。。全くわかりません。試しにmixiに足を踏み入れたのもそのことがあるからです。ぼくのホームを覗いていただければわかります。ちょっと他の人と違うと思うのですが(^^)
ぼくはヘソがまん中に付いていないので。。。人に認めてもらったものがいいとは全く思っていません。ですから、賞、商業的に成功したものすべてがいいとは思っていません(最近のものは特に!)。上辺だけ見て判断する人たち、評判やうわさを聞いて信じてしまっている人たちは同じデザイナーっと呼ばれていても、ぼくとは全く違う人たちですね。>>>茶道を真剣にやればそれはわかります。
自分が納得するまで、しがみついて、結果を出すこと。。。そしたら、自分でご褒美をあげてください!
憂鬱
ぼくがこの場で、展覧会カタログについて、あえて書き込みをしたことの心情はおわかりになっていただけたと思います。きのう初日すでに約50册出、お買い求めていただいた人がいらっしゃいます。本来の姿でないもの、非常に質の悪い印刷物が出てしまっています。デザイナーにとって、自分が生み出した印刷物が世の中に旅立つということは、仕上り全てに責任をもつということです。確かに展覧会カタログは通常の出版物とは違いますし、あえて今回もいろいろ挑戦してきました。だからといって、無理に形になったもの=販売にこぎつけるのは乱暴のように感じます。つまり、その資料ということでは解決しない部分があるからです。フリーなパンフレットならともかく、カタログである以上、質の度合いには限界があると思うのです。やはり、ぼくは思うのですが、版元とその周辺が出来上がったものの質を正確に知ってから、その程度を話し合うことは大切なことなのではないでしょうか。この2日間、ぼくはたいへん憂鬱です。