決して「議論」にならない
孔子の「述べて作らず」は「私は先賢の教えをそのまま伝えているだけで、私の教えのうちにオリジナルなものは何もない」という潔い断定である。先賢の知の「伝道」に徹するところに真の「創造」がある。
やっと気づき出しているのか。
それにしても、表紙、酷すぎる。羽生結弦みたいのばかりが続く。世の中には老若男女いるはずだが。
決して「議論」にならない
孔子の「述べて作らず」は「私は先賢の教えをそのまま伝えているだけで、私の教えのうちにオリジナルなものは何もない」という潔い断定である。先賢の知の「伝道」に徹するところに真の「創造」がある。
やっと気づき出しているのか。
それにしても、表紙、酷すぎる。羽生結弦みたいのばかりが続く。世の中には老若男女いるはずだが。
東京ミッドタウン・デザインハブ内にあるインターナショナル・デザイン・リエゾンセンターの毎月不定期で開室しているリエゾンセンター・ライブラリー。
広義の「デザイン」に関する新刊書籍を約3ヶ月毎にピックアップし展示しています。昨年10月から12月に出版された本27冊に『削ぎ落とすこと. 倫理. 教育.』が!「デザイン新刊本紹介コーナー」にぜひ!!
2024年1月の開室:
6(土) / 7(日) / 8(月祝) / 15(月) / 16(火) / 23(火) / 28(日)
開室時間 : 13-19時
https://www.jidp.or.jp/ja/2023/12/26/shinkanbon14
執筆は惺斎。即中斎執筆の茶カブキのお軸から約50年前の。再び家元書付「表具好ミ」のが手に入った。しかし、また予想と大きく異なった。やはり三人が当てているが、これもおそらく皆中者の正客*に、お渡ししたのでしょう。不審菴の(高木貞正宛)領収書はそのままに。家元利休忌の茶カブキの客数は10名と聞いたことがありますが、12名とは、当時どのように実施されたのでしょうか。それにどなたが亭主だったのか。まったく想像ができません(そこが楽しいのですが)。それも大正2年ですから、明治39年の火災から、7年後の3月27日、惺斎50歳。即中斎(覚二郎)12歳。
荒圃* 全
又三郎 一
与三郎
久弥 全
雲子 一
さた子 全
小泉
芳子 一
薫子 一
天満
琴江 一
冷月 一
この頃から、内々にどころか年中行事のように、し始めだしたのだろうか。茶道の近代化に向けているようでもある。当時は1910年再建の目新しい現在の残月亭でということになる。年始から興味深いお軸を掛けて濃茶をねることに集中する。
一月一日、能登半島地震。被災された方々にお見舞い申し上げます。
昨年の作品はこれ。『ボタニスト』の特装本のために、また校正刷りにて。今回は『削ぎ落とすこと. 倫理. 教育.』で忙しかったので宇野に組版印刷を頼んだ。ディレクター満了し、兼ねてから希望であったバーゼル活版留学。
竹尾の「クリエイター100人からの年賀状」展 vol.19のために作った三枚限定(見本帖本店、淀屋橋、福岡)の年賀状。巷の年賀状は激減。来年はなんと1通110円。どうなっていくのであろうか。さて、もちろん、各々違う。それは実物の展示を、どうぞお越しください。
表1はラテン語/ドイツ語/英語3カ国語で。用紙はフランスのリシャール・ド・バ社の「手漉き花紙」を使用。竹尾の店頭ではその昔、この紙など輸入紙を数多く販売していた。この紙もその一つ。先日OBの河合さんとお話ししていて、最近はこのような紙は一切扱っていない。どうしたのだろうかと、木戸さんが草葉の陰で泣いているっと。
今年も、プライベートのご挨拶をしたためた年賀状は数枚だけお世話になった方々へ、全て書き初めで一枚一枚筆を。昨年は「千里同風」。今年は「初祖達磨大師」(うまく書けなかったけど)。
今年も相変わらず介護、出版社と茶の湯の研鑽だけの毎日ですが、ご期待ください。
2024年、あけましておめでとうございます。
元日明けは夜咄のようにして、最後に自服を。かぁちゃんもち(戸頭農場)を七輪にて焼き、雑煮を祝う。
掛物 山﨑宗鑑書「初祖菩薩達磨大師」(禅の初心を込めて)
釜 古天明小丸釜 山口浄雄折紙
炉縁 久以造 沢栗木地
香合 如心斎作写 傳来独楽紋(青釉) 惺入造 惺斎在判
蓋置 竹節 影林宗篤作 兼中斎在判
茶入 わし棗 了々斎在判 仕覆:蜀江錦写シ
茶杓 随流斎作「雨請」共筒(随流斎) 如心斎箱
茶碗 朝日焼 鹿背茶碗(辰にみたて) 元治好
蓋置 隅田川焼千切 7代白井半七造
濃茶 小倉山 詰:山政小山園 佐久間宗信好
菓子 浅草美家田(東日暮里一丁目) 人形焼
つきもの:利休好手燭
利休の秘蔵といわれる黒の鷲棗(わしなつめ)は、取り置きするときに握りこむように鷲掴みにする習いから呼ばれている小振りの尻張棗とされている。盛阿弥作の本歌は現存していない。利休が使用した記録もない(切腹に向かう際に懐に忍ばせたという説も)。したがって想像のかたち。仕覆は蜀江錦で、宗旦が有楽斎を招き盆点をされた記録があるため、型破りな棗とされる。おそらく、上から手の甲を水平にして五本の指で鷲掴みに取り置きする扱いで、この点前は、稽古ではほとんど習わない。
うちのは了々斎在判箱書きで、このようではなく利休形の黒小棗の写しに近い。いわゆる尻張形ではなく、蓋が丸く尖っていないため茶杓がうまくのらないこともない。謂れからすると、「この上なし」の意をもって、鷲掴みをしてから、蓋を開けるためには普段の平棗のように自然に持ち変える手が加わると、男点前の流れが似つかわしいのかもしれない。
とうとう、手に入れた。古着で三越製のカシミヤ。戦後まもなくのものでしょうか。
いわゆる「和装に合う」コートとは。渋沢栄一が愛用していたScotland inverness coat、外套(がいとう)、丈の長いコートにケープを合わせたもの。共地のケープが添えられていたためインバネス・ケープと呼ばれることもある。インバネスの原型はケープの部分が背中までグルっと回っているが、それに対してトンビはケープが脇までしかなく、背中は一枚仕立てでシンプル。ケープは着物の袂(たもと)を気にすることなく自然に袖代わりになる。黒いケープの様子が鳶が羽を広げたようなので「トンビ」という別名が生まれた。
明治中期になると、渋沢好みの形は「二重回し」となって登場することになる。インバネスは膝丈で、これを着物の着丈に合わせるために、くるぶしほどの長さに仕立てたのが二重回しでした。「インバネス」と「二重回し」とは混同されているが、これらは違うもの。
渋沢は、黒の二重回しを、カワウソ毛皮衿などなしの簡素な伝統的なものを好んだようです。しかも昼間の男性用礼装であるFrock Coatの上にも平気で二重回しを重ね着して、Bowler(山高帽)。この進化は「和魂洋才」西洋文明の洗礼を見事に受けた結果、日本の土壌で生きる。ということでしょうか。
練馬区立牧野記念庭園の学芸員 田中純子さんにいらしていただきました。感動です。
思えば母と2020年の正月に庭園に訪れてから考えだした企画。実際にカタチにしたのは宇野、ディレクターとしてなんと全てをやりとげました。関係者の皆様、どうもありがとうございました。
家康の遺品「駿府御分物」として尾張家に伝わった一休宗純墨蹟「初祖菩提達磨大師」(徳川美術館蔵)はとても有名。禅宗名号「初祖号」とも呼ばれ、粗い竹筆を用いた八字一行書。室町時代を代表する書。この墨跡は当時の茶室の床には(横物が多かったためか?)長かったという逸話があり、氏郷、三斎両氏が同席で、芝山が利休に「床にかかるように」と願うが利休は同意せず、珠光の元表具には手をつけることはできないと、それ以来一行長物が流行したと伝わる(江岑咄之覚)。
うちのは生没年未詳の山崎宗鑑のもの。(もう少し調べてみると)室町後期、近江源氏佐々木氏の出で、晩年は山城国(京都府)山崎(この地名を姓のようにいう)に庵を結び閑居、自ら竹を切り油筒を売っていた隠者であった。たぶんその頃の書。一休宗純に参禅した後、諸国を遍歴行脚し、連歌師であったらしい。近世俳諧の先駆をなす「犬筑波集」の撰者。「庵の入り口に人を追い返すべく、客を上中下に分ける札を掲げていたとか」興味深い。
大綱達磨図、白隠達磨図や宗匠画讃など有名なものはいろいろあるけど、いずれの肖像や姿はある種の記号なのだけど、後に想像されたものは明らか。やっぱり茶掛は達磨の仏画より名号が相応しい。
昨日、無事Amazon MarketplaceにPODを載せることができました。関係者の皆さま、どうもありがとうございました。さて、
『削ぎ落とすこと. 倫理. 教育.』を購入された方方へ:
本書が扱っている厳選された図版で、1968年発行『グラフィック デザイン マニュアル – 理論と演習』(以下略号=グ.デ.マ.)と重複するものは少ないのだが、まず以下の翻訳を熟読し、本書と比較していただきたい。
グ.デ.マ.:[上左は]垂直線の間隔が次第に狭くなっても白い背景はグラデーションの効果を生じない。[上右は]様々なグラデーションをつけられた細い線の帯。[下左は]黒い背景上に、一定の巾をもつ白い垂直線が次第に間隔を拡げている。この白い線は、黒の空間を生き生きとさせる。[下右]と比べて、黒い背景はリズムを感じさせる。[下右は]背景の⅓のところから グラデーションが始まっているので、この分離した⅓の黒い部分は独自の特質を帯びてくる。
本書:p.74
グ.デ.マ.:黒い等間隔の縞から、1部分が削除されると、黒と白の同質の形が生じる。テーマ:中央部に安定感を示している。顕著な対比。様々なグループ。上下運動。
本書:p.75
グ.デ.マ.:線の巾とその間隔のグラデーションによって作り出される運動感の錯視は色の明度を用いても創ることが出来る。
本書:p.129
グ.デ.マ.:所定の正方形(フォーマット)の中心で点が点としての視覚効果を示すために必要な大きさについて考慮する[上左]。正方形(フォーマット)の中で、点が完全に点としての視覚効果を与えることのできる適性な大きさ[上右]。グリッド(縦横の格子)上に秩序正しく配置された点[下左]。面積としてまとまりをもっている点のグループと独立した1コの点と、線としてのまとまりをもつ点のグループ[下右]。
本書:p.137
グ.デ.マ.:正方形の点、一定の太さの縦方向と横方向の線でグリッドの上に格子模様をつくると、自動的に白い正方形の空間が点として規則正しく残される。中央の4つの白い小さい正方形を塗りつぶして1つのドットにまとめると、にわかに点としての印象が強調され、他の規則的に配置されている小さい正方形のドットは、地のようにしかみえなくなる。
本書:p.138
グ.デ.マ.:基本的なグリッドを構成している黒い線を中断すると、中断された黒い線が、白い正方形のドットと結合してシンボルとしての視覚効果や形をつくりだす。グリッドの縦軸とおとし方や横軸のおとしかたの結合を工夫すると、全くちがった性質の図形がつくられる。
本書:p.139
グ.デ.マ.:プレイング カード。この練習の主な特徴は、黒線を主とした場合の黒線間の間隙との相互作用、又は白線を主とした場合の白線間の黒の間隙との相互作用にある。黒線と白線が生き生きとした運動感を与えるにもかかわらず、その相互作用は、主として明度の変化を感じさせる。
本書:p.140
グ.デ.マ.:鉛筆製造会社のポスター。
本書:p.141
グ.デ.マ.:水平線分を用いての構成練習。テーマ:加速度。
本書:p.142
グ.デ.マ.:水平線分を用いての構成練習。線分のオーバーラップとこれによってできたグレイの階調は、加速度の感じを強くさせ、同時に奥行きの錯覚も生じる。
本書:p.143
上の各キャプションは十分にホフマンの意図と授業内容を理解して、翻訳したのであろうか、甚だ疑問を感じる。出版時の反響はどのようだったのか。個人的に知りたいところである。当時のデザイナーや教師は果たして理解できたのであろうか。ただ図版を眺めていただけなのではないだろうか。また、現在に至っても、古本で手に入れられた方や図書館でご覧になった方の中にこの難解な日本語で理解できる方がいらっしゃるのだろうか、おそらくこの文章では誰も図版の真意を知ることができない(よっぽどオリジナルの英文の方が理解できるのではないか)。事実として、ここに挙げた一部の作品の説明でなく、丸々一冊このように発表されたのである。
誤解しないでいただきたい。ここでは過去の翻訳者個人を批判したいのではなく、正確に内容を伝えることはとても重要である。それを誤り、広く伝わってしまうことを危惧する。そのことを言いたい。