令和2年11月号 同門

今月号も先月に続いて良い。「吸茶」のこと。濃茶は飲み回しであって「各服点」ではない。先日の裏に対しての答えは、天晴れ以上!

うちでは毎週、妹と一客一亭の稽古。もう半年以上続いている。当然、一碗を共有。

令和2年10月号 同門

今月号の記事はとても良い。しびれる。猶有斎が即中斎のを引用している。1939年雑誌『わび』に掲載、あまりに共感したので引用させていただく。

 「茶道においては、完全なものより不完全なものにその貴さを見出さんとする傾向がある。具足したものよりも不具足のもの、満足せるものより不満足なものにより以上の価値を見出す態度である。これは侘びという精神にも大いに関連してくるが、これと相関して考えられるのは、近時物資の節約が叫ばれる折柄、各人がお互いに自粛してその目的を達せねばならない。不自由を忍ばねばならない。しかも不自由を単に不自由として忍だけではいけない。不自由の中に自由を見出さねばならない。不満足の中に満足を覚えるのである。不自由を単に不自由として消極的に耐え忍ぶのではなく、不自由の中に積極的に満足を感じて、充足を覚え楽しさを感ずるのである。これが茶道の態度である。

 平凡なことを平凡にやってのけるには、平凡以上の力がいる。平凡なことを平凡にして、しかもそこに自らの妙味を見出すことは、一朝一夕ではできない。これを悟れば、すべての日常のことに無限の滋味が湧いてくる。一度縁あって茶道にいそしんだ人々は、茶道の修練によって、この境地に達して頂きたいと思う。」

昔から、茶の湯の宗匠とは何者なんだろう、、、

僧侶のようで僧侶ではない。

武士のようでそうではない。

貴族のようでそうではない。

芸術家のようでそうではない。

演出家、演じ手のようでのようでそうではない。

料理人のようでそうではない。

書家、水墨画家のようでそうではない。

職人のようでそうではない。

教師のようでのようでそうではない。

目利き、鑑定士のようでそうではない。

花は生けるが華道家ではない。

盛阿弥

江戸初期の棗。太字の了々斎在判。

盛阿弥初代は千利休のどのような塗師であったのだろう。その頃は十職は存在しなかったし、後に名付けられた利休形ではない形だったので所持することにした。蓋が浅く、身とのプロポーションが明らかに違っていて、合口端の位置がとても新鮮。とてもゆったりとしたふくよかな佇まいの棗。

ちりに近い板には小さな「盛」の針彫りがきちんとある。三代続いていたらしいが、後世の後彫りが多いとみられ、確証のある作には乏しいらしいが、そのようなことはあまり気にしない。とにかくとても古い黒棗で、黒のようだがほんのり飴色、とても使われた様子で気に入っている。

天然忌の円相

即中斎の円相の多くは中心に「夢」と書かれているが、そうではなく四角の枠の中と外の二円相。花押と箱書からしておそらく若書。家元1936–1979年なので1940年代の戦中であろうか。円相の大きさは各々、茶碗の中と同等に見立てることができる大きさ。小さい=おそらくちょうど即中斎の点茶での茶筅の纏めの大きさに匹敵。中に「天然」外に「坊守リヘ」ではないが、うちではこのお軸を天然忌に掛けるとする。如心斎から数えて六代後の家元の円相を。もともと、家元制度の基を作り出した中興の祖といわれる如心斎に敬意を表するために居士の遺徳を偲び9月13日に「天然忌」が営まれる。残月亭の床にその円相が掛けられ、白い芙蓉を入れられ、お茶湯を供えらる。肖像画はない。

それにしても、ゲルストナーの講演の衝撃的な円相もすばらしかった。思い出す。今日は重陽、菊の道具はまだない。

茶筅

このような茶筅がある。驚いた。アルコール消毒ができる。よくある店先で和菓子と抹茶を振る舞うための道具には最適である。しかし、これは茶道では使えない、ありえない。使う気はしないが、きちんと点つのだろうか? 茶筅はとても微妙な道具で、竹であっても反発の具合で、茶碗の茶溜りとの関係などで全く点ち方が変わってくる。

茶筅とうじをしている時、竹の繊維にお湯が滲み入ってゆく香りがなんとも言えない。点てている亭主本人しか味わえない。精神統一の香りそのもの。

不仙斎自画賛

雪登希や 飛石一ツ 二ツ 三ツ

お盆は今日で終わり、茶通箱(ここのところ毎週日曜この稽古ばかり妹とやっている)5回目、あまりに暑いので、床の掛物から冷気を。この水墨のすごいのは、紙の白すべてが雪であること。何も描いていない空間は雪という物質を表している。先日見かけた鈴木其一のおそらく真作の「瀧図」は高価すぎ(肝心な空間が虫喰いだったし)、この雪の白は完全なる静かな紙の力があって、あの瀧の水はここまですごくない。まさしく「意味を持つ間」である。ぼくが持っている唯一の画賛の茶掛(優れたバーゼルのポスターと同意)。掛ける時期が違うのでは、とお叱りを受けるかもしれませんが、あえてぼくはこの猛暑の今。

全く興味がないけど、冷水点というのがあって、茶碗のなかに氷の溜まりが(点ててから入れるのだろうか?)、、、おそらく実際の温度が冷い抹茶を、単に飲むだけのこと!

直入造 青竹蓋置 官休庵(有隣斎)書付

このようなものがあるんだ。ヤフオクで6月30日107,000円で落ちた。

ビックリ、ぼくの覚入造とソックリ。この樂印の位置まで(ホツレはないが)、、、本歌はなんだろう。正月しか出さないのだけど、今日はこの話題で客人のために。この竹が奇妙なのは四角っぽい。理由はわからないが持ちやすい。柄杓も掛けやすい。風炉用の感じもする。この作風は14代のような感じがするけどな。いずれにしても、とてもお気に入りの可愛い蓋置。